untitled2.5

まさか。
三日坊主どころか、二日目の投稿を忘れていました笑

昨日の気づきは、
自分の言葉や行動で、相手が笑ってくれると嬉しいということ。

会話の中で面白いと笑ってもらえることはもちろんですが、私がした事で喜んでもらえるのも嬉しい。

"助かったよ"と思ってもらいたい
と、
喜んでもらいたい
は、似ているようで異なるものなのかもしれない。

相手の助けになれば…
自分が負担を減らすことができたら…

その為には
・仕事が人より完璧で、かつ速くなければいけない
・人一倍、色んなことを頑張らなければいけない
・何でも知っていて即答できなければいけない
それが出来ない自分には、存在価値がない。

そう自分に言い聞かせる癖がついています
その分、プライベートへの反動は大きい…

もしかしたら、これは違うのかもしれません。

"違う"じゃなく、考え方を"更新"したら、
もっと自由になるのかもしれない

"助けられる存在"
から
"喜ばせられる存在"
へ。

・相手も頼ってもらえるのはきっと嬉しいこと。自分がいっぱいで余裕がないなら、頼ってもいいんじゃないか
・"人一倍"は他人との比較という意味。過去の自分よりも頑張れたかどうかでいいんじゃないか
・何でも即答できることは確かに理想ではある。けど、それはその人の特性と経験値からくるもので、自分はそういう人間ではなかったとそろそろ諦めても良いのかも笑 その人が頼られているところを見て嫉妬して惨めに感じるのは無いものねだり。それを追い求めても仕方がないんじゃないか

そんな風に一つひとつの考え方を更新していくことで、張り詰めている自分を楽にして、そうしたら見えてくる景色があると思いました。

余裕ができる

相手のことを考える時間が格段に増える

そこに"喜ばせられる"が転がっている

そんな風に思いました。

喜んでもらえる存在って?
・いつも纏っている雰囲気が柔らかくて、話しかけやすい
・率先して気持ちよく動ける
・プライベートに仕事を持ち込まず、その分好きなことを楽しめる(話題が増えるので話していて楽しい人)
・面白い間アイデアが浮かぶ

そんな人かなぁと思います。

"助けられる存在""喜ばせられる存在"
どちらも理想的だけど、
私は後者の方が自分に合っていると感じました。

どうせ理想なら、自分が心地良い方に進んだ方がいいよね。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?