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初任時代の映像を振り返る④

教師は子どもをよく見なければいけない

大学時代、教授にそう言われた。

子どもを見る?

どのように見るのだろう?

そう疑問に思い1年目現場に立つ。

その答えに気づかないまま1年が終わり、

今映像を振り返るとその重要さを痛感する。

授業において子どもを見るとはなんなのか。

今日はその本質に迫りたい。

1.見るとは「留める」と同義

皆さんは授業をする際、30人ないしはそれ以上の子どもたちを相手にしていることだろう。

ここで問いたい。

“子どもたち1人1人をきちんと見ていますか?”と

「はい。私は子どもたち全員を見ていますよ。」

そう答えられる教師は一体何人いらっしゃるだろうか。

少なくとも私は「今の実力では無理です。」と潔く答える。

本を読み学ぶ中で向山洋一氏は「目線を留める」と語られていた。

では、留めるとは何秒ぐらいか。予想してみてほしい。


答えは1人0.5秒だ。

“1人”である。

全員を見るのだ。

なぜそのようにしなければいけないのか。

それには理由がある。

2.目線が教室を支配する

眼力とでも言おうか、目線は教師の基礎的なスキルとして宝具的な存在である。

もし、授業者の目線が1点にしかいかないとしたら、教室はどうなるだろう。

教師に見られていないと鷹を括る子どもたちは授業そっちのけで自由な行動をしまくるであろう。

全体を見渡す+1人1人を見て留める

このたし算があって教室に規律が生まれるのだ。

さらに、この目線は子どもに「まずいっ」と思わせるだけの効果ではない。

先生は私のことを見てくれている。

つまり、安堵感を与えられるのも大きな強みの1つだ。

笑顔とセットで使うとさらに良い。

基礎的だが使いこなすと大きな効果をもたらすこのスキル。

最後に鍛えるためにはどのようにしたら良いのかについて綴る。

3.キーワードは「M W Z」

何かの頭文字?

そう思われても不思議ではない。

これは視点の移動である。

眼球移動と言ってもいいかもしれない。

体軸(へそ)も見る方向に合わせると効果が上がる。

この方向を意識するだけで、語りも立ち位置も変わってくる。

映像を見返すと、私は窓際の方を7分間のうち見たのはたった「5秒」であった。

見られていない方の児童は聞く耳をまるで持っていない。

教師の目線を感じていないのだ。

さらに映像を見返すと学習が遅く、ふざけやすい男の子の方ばかり見ている。

これも悪い癖である。

全員を見るぞ!という気概が足りない証拠。

だから、先に挙げた3つの文字の流れが大切になってくる。

活用し、目線を鍛える必要があるのだ。


声や表情よりも目線はこちらの意識に入りにくい。

しかし、意識化における鍛錬の末、無意識に使えるようになるとその効果は授業技術においての大きな強みへつながる。

これを鍛えるにはとにかく頭の中に「目線、目線…」と反芻させ、実行していくしかない。

0.5秒留める訓練もしておくとなお良いだろう。

次回は「姿勢」について記事を書く。

見ていただけたら幸いだ。


急ぎ足で書いたが、今日はここまで。

つづく…。






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