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私を変えてくれたたった1つの修業法④

初めて自分の声を聴いた時、授業に下手さに驚愕した。

本当に変われるのだろうか。

不安に襲われる。

しかし、まだ一回目。

まずは10回は続けてみよう。

そう思った。

1.1ページを限界まで分析する

まずは、授業で出している自分の声を全て文字に起こすことから修業は始まる。

止めては聴き、止めては聴き…を繰り返す。

5分間を起こすだけでも軽く1時間はかかる。

もう書きとるだけで疲れ果てる。

しかし、それで満足しては意味がない。

成長すると決めたのだ。

眠い目を擦りながら、次の作業に移る。

次は「削る」だ。

朱墨で要らぬ言葉に線を引いていく。

すると必要な言葉が浮き出てくる。

さらに2回目にして私は新たな分析方法を取り入れた。

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それが「失敗の言語化」だ。

ただ削って「ダメだ…。」と落ち込んでも躍進の兆しはない。

どのようにいけないのかを言葉にする必要がある。

それによって、授業時に意識できるようになるからだ。

書くか書かないかだけで、明日の授業に大きな差ができる。

2.語尾に注目せよ

この修業を始めるまで私は自分の語尾の口癖に気付けなかった。

特に多いのが、

「ですよ〜。」や「ですか〜?」など語尾のばしであった。

これに気づくことによって、自分の声質や声量だけでなく、

喋りかた1つ1つに吟味が必要であると痛感した。

そう、今まで見えなかった自分の技量が可視化されてきたのだ。

3.自己の授業を客観視せよ

雑多にいくつも情報が入っている説明や語りは罪である。

聴いている児童は教師が何を言いたいのかわからない。

そして、そのまま次へ移っていく。

発問も指示も、当然説明も理解ができない。

よく「聴いていない子どもが悪い!」という教師がいるが

大いに反省した方が良い。

なぜなら聞かせる情報を子どもに伝えられていない教師が悪いからだ。

でも、教師自身ではわからない。受け手ではないのだから。

だから、録音をするのだ。

実際に言語として落とし込むのだ。

初めはきつい。耳を塞ぎたくなる思いになる。

自分はどれだけ無駄な言葉を喋っているのだろうと。

それでも、やっていくうちに

音がその時の児童の気持ちを想像させてくれる。

文字が子どもに優しい授業へと導いてくれる。

客観的に自分を見られるようになった教師は強い。

この修業は授業のメタ認知には最適であり、最高なのだ。


そして、私はこの修業を続けて1ヶ月目に差し掛かった時、今までとは違う自分に気づいたのだった。


つづく…。




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