私の授業が荒れる原因③「目線」

一つの教室に子どもは何人いるだろうか。

日本であれば30〜40人は当たり前である。

しかし、教師は1人しかいない。

そして、授業をするのもその教師1人だけなのである。

管理職から観察授業で言われた言葉を今でも思い出す。

「あなたは自分ばかり見ている。子どもたちを本当に見ていますか?」

私は子どもたちに温かで優しさある表情で授業を行なっている。しかし、それはただの傲りであった。

はっきり言おう。

私は子どもを見ていない。

目を合わせようとしていない。

目に留めていない。

全員を見ていないのだ。

できているのか、できていないのかすらの判断もない。

だから授業が荒れるのだ。

勝手なことをし出す。
ふざけて何もしないでいる。

私が見落としているのが原因だ。

授業の技術のみを追いかけ、追求して、自己の行為を振り返る。

しかし、最も必要なものはそこではなかった。

教師とってはベースとなる基礎的で根本的な子どもを「見る」そのものだったのだ。

今日はより強く子どもたちに目線を送ってみた。

まだまだ未熟あり、見落としがある。一点に止まってしまい、全体をおざなりにする時もある。

それでも、意識がない時よりもずっと子どもたちの様子がわかるようになった。

こうも変わるのか、と。

足元や手いたずらも見えてきた。

しかし、それだけではいけない。

子どもたちが立派にやっている姿を見て取り、それを褒めることが必要になる。

次回はその「褒める」について綴っていく。


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