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ヒロコさんの周りだけ世界が100人の村

ライブのあとに開いてる居酒屋にみんなでなだれ込むのってほんとうに楽しいよね。武道館で開催された小沢健二「LIFE 再現ライブ」が終わったあとは、近ごろなかなか合流する機会のなかった友人と落ち合い、居酒屋が欠乏しがちな九段下を避け神保町まで歩いていって白木屋に落ち着く。ライブのあとになだれ込む居酒屋としては白木屋は理想型といっていい。同席したのは総勢8名、友だちの友だち、友だちの友だちの姉、みたいな感じで初対面の方も半分近くいて、でもなんとなくあいさつのタイミングを失ったまま4-4に分かれてわいわい話をしていた。

何かが起こったのは、席についてゆうに1時間はしゃべったね、となんとなく空気が弛んだときだったように思う。店の最奥に陣取ったわれわれの席に、どこからともなくひとりの女性が、ふわふわと踊るような軽やかな足取りで近づいてきた。ヘッド博士の世界塔みたいなすてきなワンピースをまとったその女性は、わたしたちに何か紙片のようなものをトランプのごとく扇型に広げて差し出してくる。その間、完全に無言。

※フリッパーズギター「ヘッド博士の世界塔」


わたしは最初、居酒屋にたまに現れるしじみサプリかなんかのサンプリングかとおもった。しかし近づいてみるといや違う、これは、これはオザケンステッカーじゃないか!!!

オザケンステッカーとわたしが勝手に呼んでいるその代物は、毎回オザケンのライブに行くとどこからともなくやってくるアンオフィシャルなステッカーである。どなたか有志の方がつくっているようだが、詳細はあえて調べずよくわかんないままにしている。

オザケンステッカー例


あるときは入場の列に並んでいると後ろから授業のプリントのように回ってきたり、またあるときはロビーでダース(チョコ)の空き箱から何かを取り出してる人がいてそれがオザケンステッカーだったり。今回は会場では遭遇できなくて、残念だねと話していたところだったのだ。まさか一駅離れた白木屋にて、ヘッド博士の妖精が運んでくるとは。奇跡だ。

咽び泣きながらありがとうございますありがとうございますとステッカーを受け取ると、ヘッド博士の妖精はやはり無言で踊るように立ち去っていった。その場にはオザケンステッカーを知らないひともいて、知っている者がオザケンステッカーというのはですね、という説明を口々にして、わたしは歴代のオザケンステッカーをスマホのケースに挟み込んで保管しているのでケースを外してバラバラとステッカーを見せびらかした。

それを見ていた隣の初対面のひとが「えっなんでシハラアキコさん知ってるんですか」と鋭くつぶやく。オザケンステッカーに紛れて、わたしがスマホに入れてるエッセイスト紫原明子さん著書の購入特典ステッカーのほうに目がいったようだ。わたしはいっしゅん、説明に窮して口ごもった。わたしは紫原明子さんの主宰するコミュニティ「もぐら会」に入会しており、自主制作本をつくったり、意味不明のイベントを手伝ったり、文学フリマで本を売るのを手伝ったりしていて、それを別に隠し立てしているわけでもないのだがどこまで説明するのが適切なのか判断しかねたのだ。ところが彼女は矢継ぎ早に質問をたたみかけてきた。「えっもしかしてもぐらの人ですか?」「えっもしかして蝶ネクタイしてました?(※1)」「えっもしかしてバーボッサにいました?(※2)」「えっもしかしてヒロコさんですか?(※3)」たしかにわたしはヒロコですけれども、えっなんで知ってんの?

※1 文学フリマは紫原さんとbar bossaの林さんの共同出店で、みんなでバーテンぽいかっこうしようよ!というので白シャツを着ていって紫原さん私製の蝶ネクタイをしたのだが、言い出した紫原さんは「白いシャツを持ってなかった」という理由でまったく関係ないおしゃれなシャツを着ていた
※2 「はて?資本主義バー」という謎テーマのイベントもお手伝い参加して、bossaのカウンターでイチゴ洗ったりしていた
※3 ごくたまに紫原さんが口にしたかもしれない「ヒロコさん」をおぼえてる記憶力がやばくないですか

市井の人として長く生きてきて、まさか本人特定される日がこようとは思ってもみなかった。聞いてみると隣に座っていたこの、友人の友人は、紫原明子さんの音声配信のファンで、文フリやイベントにいらしていて、そこにいただけのわたしの顔をなんとなくおぼえていて、白木屋でも「この人どこかで見たことある…」とずっと思っていたのだそうだ。もし白木屋でオザケンステッカーの持ち主と居合わせなかったら、居合わせたとしてももしわれわれがオザケン帰りだと気づいてもらえなかったら、しかももしステッカーが余っていなかったら、そしてあのときわたしがオザケンステッカーを見せびらかしたりしなかったら。つうかそもそもわたしが別席で観てたほうのグループに合流しようと思いつかなかったら。すべてのもし、がひとつでも欠けていたらこの邂逅は実現しえなかったのだ。まさに今夜、オザケンとシハラアキコがつかわした神保町三丁目の奇跡であった。

共通点は今夜同じライブを見た、というだけのひとのなかで、自分が「蝶ネクタイしてたひと」という記憶の残りかたをしてたと知ったときのわたしの気持ち、わかります?

その場で即、明子さんにメッセージを送ってことの次第を興奮しながら報告すると返事があった。

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