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情報格差は経済格差。こんな真理まで、どうぶつの森には落ちている。

昨日の天気を一切思い出せない、そんな翌日、穏やかに晴れているがコインランドリーに来ている。そんなにしょっちゅうコインランドリーに行くのおかしいだろうと思われるかもしれないがほんとうだ。小銭をつくろうと自販機に向かったら、「あたたか〜い」の飲み物が軒並み「つめた〜い」に置き換わっていることを発見したのが今ここにいる証拠である。コインランドリーに座り込んでるわたしに、つめた〜い、は、まだ早いよ……。昨日の天気は思い出せないが、一瞬、これから季節が冬に向かうのか夏に向かうのかわからなくなったことはおぼえている。温度感覚も時間感覚も狂ったまま、自販機に季節のうつろいを知らされている。

さて、いつものようにねこのしわざにより布団を洗いに来ている、しかし本日の被害者は中3の息子だ。この自粛生活でほぼ一日部屋にこもっているにもかかわらず、一瞬の隙をつかれまんまとやられたらしい。布団に粗相をするねこ容疑者は2頭いるのだが、息子は自分に懐いている三毛のほうを贔屓して「いや、ぜったいにやったのはキジ白のほうだ」と主張する。思春期まっただなか、わけもなくやり場のない苛立ちがこみ上げてくるこの時期、ねこに部屋にオシッコなんかされて壁でも殴る蹴るなどして穴をあけたいくらいの気分だろうと思うのだが、心優しい息子はねこのことははじめから許している。おおげさにため息を吐きながら布団を洗濯機に投げ込んだ。

30歳と33歳で子どもを産み、30年ぶんのアドバンテージがあるはずなのに子どもの成長は圧倒的で、体力はもちろんだが知性、知識などにおいてもゆうにわたしを凌いでいる、と思わされることが増えてきた。毎朝学校のウェブサイトで発表される課題を出力する際、わたしも脳トレにやってみようかなと思って見てみたが連立二次方程式の解き方などすっかり忘れており即諦めた。わるさを重ねるねこに対しても、子どもたちのほうがよほど寛容であり包括的な愛情を注いでいる。えらい。しかしなんといっても子どもたちに置いていかれた感が大きいのは、どうぶつの森における島生活についてである。

SNSでみんなが楽しそうに島生活を楽しんでいるのを見て、売り切れる寸前に Switch Liteを入手してじぶんも島入りしたわけだが、いきなり背負わされた借金を返すために果物をもぎ雑草を抜き魚を釣ってはたぬきに差し出す日々。いくら労働しても生産物は資本家に搾取され喜びなど残らない。えっ。これマルクスの資本論に書いてあったやつじゃん。ゲームの世界でも労働に疎外され、生きる目的を失っているためになかなか島は発展しない。

そんな中、ふだん「今日のごはん何」しか喋らない息子が話しかけてきて何かと思えば、おれのカブを買ってくれと言う。わたしの島は株式制どころかまだ商店すらないと伝えると、「えっ…そんなの序盤じゃん」と、心底軽蔑しますという眼をして去っていった。あれ、なんか今、息子に怠惰を責められて、落ち込んでるぞわたし。

反省して生産性をアップし、なんとか島に商店を開いてカブの売買もはじまった。島の近代化。しかしわが島の発展が遅れているのは、ゲームが進む条件となる鉄鉱石などの資源が乏しいためである。一度採掘してしまうと次の日まで資源は復活しないため、ほかの無人島に出向いて島を荒らしまわり資源を乱獲してくるほかない。しかしそのことについて娘にぼやいたところ、「ひとつの採掘場所から最大9個、鉄鉱石とれるよね」と驚くべき事実を知らされた。わたしが採掘すると、スコップを一回ふるっただけで体が弾かれてしまい、それ以上とれないのだが、自分の背後に穴を掘り、スコップの衝撃でじぶんの立ち位置がずれてしまうことを防げば、連続掘り出しができるというのだ。

なにそれ。そんなこと誰も教えてくれなかった。

ファミコン世代であるわたしは、ゲームが先に進むためには必ず踏まなければならないイベントというものがあり、そのヒントは訪れた街やダンジョンのどこかに隠されているという認識から離れられない。しかしどうぶつの森は自由度が高いがゆえに、目の前に必ず有用な情報が用意されているとは限らず、これまでの歴代どうぶつの森からの蓄積、あるいは実況動画などから知識を得てこなければ有利にゲームを進めることができないのだ。情報格差は経済格差。こんな真理まで、どうぶつの森には落ちている。

島生活において完全に子どもたちに後塵を拝し、怠惰を責められ、情弱を鼻で笑われる。みじめでたまらないが、それでもわたしは嬉しくなった。現実世界でも、時代の変化を軽やかに乗り越えて、子どもたちは世界を楽しんでいる。どんどん先に走っていくように見える子どもたちに、親であるわたしはこれ以上、何をあげられるんだろう。旧弊な価値観にとらわれているままで、まあまあ楽しく生きていくだけでも人生はじゅうぶんなのかもしれないけど、やっぱり子どもたちが向かっていく世界を理解できる程度には自分自身も刷新していく必要があるなと思う。

昨日は息子からこんなLINEがきた。特産物の乏しさをそしられている。今日から果樹園をつくらねばならない。

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