女子お泊まり会などという生やさしい響きより合宿という言葉のほうが似合う時間

いくつかの偶然が重なって泊まりがけで出かけてきた。山下達郎のコンサート、東京では無理そうだけど宇都宮ならあるいはいけるのでは、と申し込んでみたら1枚当選。やったーと思って当たったときにインスタのストーリーにあげたら、それまで2回だけお会いした方に「よかったらうちに泊まったらいいですよ」と声をかけていただき、ええっいいんですか!とかいってものすごく素直に厚意を受け取ることにする。こういうときわたしはほんとうにずうずうしいな、とじぶんでも思うけれど、なんか楽しそうと感じるとわりと迷わず飛びこんでしまう。

もうひとり東京在住の友人も加わり3人でお泊まり会。しかしわたし以外の2人があまりにも教養があってトークが止まらず女子お泊まり会などという生やさしい響きより合宿という言葉のほうが似合う時間になった。わたしが、死ぬのが怖くて怖くてたまらない、こどものころにお布団に入って死んだらどうなるんだろうと想像するあの怖がりがますます強化されてるんだと言ったら、友人が自身の先祖の墓を探す旅に出た話をしてくれた。その時のエピソードをきいて、それ百年と一日じゃないですかと感銘を受けていたらたちどころに話が通じてそうなんだよ、だからわたしは死ぬのが怖くなくなったの、と言う。完全に通じている感覚。すごいな頭がいいひと。その友人が、家に帰ったら留守番のねこが本棚から百年と一日を落として待っていた、とストーリーに写真をあげていた。ねこにまで通じてた。

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