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食べたいものが入ってない冷蔵庫なんか、小さくていい。

今日もコインランドリーに来ている。呪いにかかっているのかと疑うほど洗濯物が溜まる。たまに朝きちんと洗濯を終え庭に洗濯物を干すと予報ではおくびにも出さないくせに雨が降る。そうして3日分ほど溜まった洗濯物はたった3人の家族なのに莫大である。

ここ数日とくに重労働をしたわけでもないのに、「疲れた」という気持ちがはりついて離れない。なんというか「力がみなぎる」というののぴったり反対側の感じだ。そういうのなんていうのか思いつかないくらい、力がみなぎる、の反対側。腰が痛いし尾てい骨のあたりも凝り固まっていて、不快感が純粋な苛立ちとなりわたしを支配する。わたしはじつのところ気性は穏やかなほうではなく疲れるとあからさまに苛立ちはじめる。いつまでたってもてんで未熟なまま生きている。

今日はゆうに6回は洗濯機を回しコインランドリーも2往復めだ。心の底から洗濯物が憎い。死んだ目、というか恨めしや、という目をしてぐるぐる回るランドリーをじっと見ている。すげえ苛々してきた。いまなら何を見ても悪態をつける。乾燥が終わって洗濯物をたたみ始めると、こどもの体操着が出てきてもう卒業したんだから二度と着ないのになぜ洗濯し乾燥し畳んで持ち帰らなければならないのか。もうぼろぼろの穴の開いた靴下をなぜ(以下同文)。

そもそもなぜわたしはここにいるのだ。力がみなぎらないどころかゼロを超えてマイナスなのになぜ2回もコインランドリーに来なきゃならないの。それはなぜかというとうちの洗濯機は乾燥機能が情けなくて乾燥にかけるとすんごい臭くなるからだ。臭くならない洗濯乾燥機さえあればこんな目にあわずにすむのに。すごい性能の乾燥機買おうかな。いっそこの、目の前にある1.5メートル四方みたいな業務用乾燥機を導入してやろうか。

最近、うちにあるものはちょっとずつ使い勝手がわるいということに気づきはじめている。洗濯機もそうだが台所だって、まあまあ広いわりにデッドスペースだらけでちっとも片づかないうえに食洗機を置くスペースがない。冷蔵庫はファミリー向けの十分なサイズなのにいつもドアが閉まらないんじゃないかと思うほどぎゅうぎゅうで、それなのに食べたいものが入っていない。お掃除ロボはなぜか掃き掃除をそうそうに切り上げてすぐドックに引っ込んでしまう。なんだおまえ。

だんだん、自分がどう暮らしたいかということと家の設備がずれてきたような気がしている。5年前にはちょうどよかった、あるいはちょうどよいのだと思い込もうとしていた生活様式が、自分にはてんで合っていない。そのずれが近頃顕在化してきたようだ。先日、「冷蔵庫を小さくして食洗機を置いたら?」と友人に提案されたのだが、これはもうわたしにとって21世紀最大の発見だった。そうかファミリーだからでかい冷蔵庫、というのは思い込みであって、食べたいものが入ってない冷蔵庫なんか、小さくていいのである。

子どもたちも義務教育を修了し、生活リズムはますます変わっていくだろう。身の丈に合った、という言いかたは好きじゃないけど、もう少しジャストサイズの生活というものを見直してみる時期なのかもしれない。

真夜中をすぎてコインランドリー終了。とりあえず、お風呂ためてあったまって寝よ。



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