いやな感じの聞き手になれない

あれこれしているうちに日が経っている。目の前で起こったことがあまりよく思い出せない。駒沢のまちづくりプロジェクトの一環である「駒沢の生活史」というプロジェクトに参加していて、土曜は聞くことについてのワークショップだった。Googleマップによると駒沢までタクシーに乗れば20分、自転車なら30分の距離が電車に乗ると56分。大田区と世田谷区の関係はこんなかんじで、直接言えば早いのに組織的にはいくつもの根回しをしなきゃいけなくてなかなか決済通らない、みたいな感覚。こどもたちの自立に向けて、まだどこという具体はないが住む場所を変えたいなという意欲が増してくる。

暑いのに乗り換えのたびに行く方向を間違えて合計15分ほどのロス。聞くことのワークショップではロールプレイング的なことがあって、口の挟みかたなどでこういうふうにすると相手は気持ちよく話すのが難しくなるんじゃないかというのを実践してみる時間があった。最近腹が立ったことを感情を込めて語ってくださいというお題に対し、語り手役のわたしが銀行の窓口対応の不自由さについて言いつけ通り感情を込めて熱弁をふるったところ、聞き手役の人はネガティブな口をまったく挟めず、ふつうに話を聞いてもらってロールプレイングが終わってしまった。みんないい人だから、なかなかいやな感じの聞き手になれない。しかし自分を振り返れば相手の話を否定したりお話しどろぼうしたりと、いやな聞き手になっちゃってるときはきっとあるはずで、それはどういうときに生じるんだろうと思った。

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