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早稲田メーヤウカレーの侵襲性に関する記録

「学生時代に(あるいはもっとざっくりと『あのころ』くらいにしても構わない)通っていた思い出深い店」というのは誰しも心の中にもっているのではないかと思うが、その記憶の大部分は提供された料理の味そのものというよりは、その店で過ごした時間や空気そしてその場で起こったできごとや会話など、エピソードの記憶なのではないだろうか。

しかし唯一、20年以上経ってもなお鮮烈に味体験を思い出せるのが早稲田メーヤウのカレーである。少し前に、ちょっと不思議な復活エピソードが話題になったカレー店だ。そもそもわたしが行っていたのは「初代メーヤウ」とでも言おうか、ここで話題になっているのとは違うオーナーだったし店の場所もちょっと違う。しかも実際のところメーヤウでカレーを食べたのは2度か3度しかない。にもかかわらずそこまで強く記憶に刻まれているのは、メーヤウのカレーはほんとうにおいしくて、そしてどうかしているほど辛いからである。

もともとわたしは、辛い料理は好きだが辛さにめっぽう弱い。しかしそれを差し引いても、メーヤウのカレーはどうかしている。辛いあまり「辛い」という味覚の範疇を踏み越え、口の中だけではおさまらない生体反応が生じてくる。つい先日、ひょんなことから友人サノさんとメーヤウカレーを食べにいこうと誘い合って行ってきたわけであるが、わたしの身に起こったことをサノさんに報告するも、サノさんには「いや……そんなふうにはならないですね。大丈夫ですか」とことごとく否定されてしまいショックを受けた。そういえばこの感覚、誰からも同意されたことがない。ほんとうなのか。誰かこの、生体の恒常性が著しく乱される刺激、すなわちメーヤウカレーの侵襲性について共感してくれる人はいないのか。そう思うと矢も盾もたまらず、この記録をしたためることにした。

われわれがメーヤウの前で落ち合ったのはある秋の日の金曜日の正午。じつのところめちゃくちゃに仕事が詰まっていたが、万難を廃し死力を尽くして集合時間に間に合わせた。サノさんもおそらく同じだったはずだ。意気揚々と店内に入ろうとするが、なんと営業はテイクアウトのみ。もはや学生ではなく大学キャンパスという陣地ももたないわれわれはしばし途方に暮れたが、ここまで来て諦め切れるものか。知恵を駆使し、どうにか食べる場所を確保することができた。さあ食べるぞ。

メニューはいくつかあったがたいして迷うこともなくチキンカレーを選んだ。どれを選んだところで、どうせものすごく辛いからだ。サイドメニューにラッシーがあり、しばし悩んだが頼むのはやめた。なぜかというと、「メーヤウのカレーは水を飲むとよけいに辛さが強調され苦しみが増すから飲まない」という不文律を記憶しているからだ。ラッシーも、甘くていいような気がするがどんな化学変化が起きるかわからないから油断はできない。

テイクアウト容器に入ったカレーを受け取る。さらさらと流れるようなカレーの中にひとつだけ沈む骨つきの鶏。ライスの上には素揚げのジャガイモ2切れ、そしてゆで卵半分。貴重な天然の甘み。イモと卵をどんなペースで消費していくかは周到にプランを練らなければならない。これは一度入ったらセーブできないラスボスのダンジョンに持っていく限りあるやくそうみたいなもので、使うタイミングを間違えばきっとわたしはゴールするまで身がもたず倒れてしまうだろう。

「では、いただきます」サノさんと厳かに声を合わせ、いよいよ取りかかる。まずは慎重にカレーをスプーンに一杯だけすくって、ごはんにかける。口に運ぶ。最初に知覚するのは辛さではない、豊かなうまみだ。細かいことはわからないけどタマネギとか鶏とかスパイスとかが混ざり合って構成される…とにかくおいしいんですよメーヤウのカレーは。それは最初に言っときます。でもこのあとはおいしさに触れる余裕はありません。

わあおいしい、ってニコニコしてられるのは最初のひと口だけである。ふた口めからは時間差で恐ろしいほどの辛さが追いかけてきて、もう離してはもらえない。うまい。辛い。うまい。からい。
からい。からいです。「や、やっぱりからいですね……」声に出さずにはおれず隣のサノさんに声をかける。「そうですね……」サノさんはいつになく真剣な表情で迅速にカレーを口に運んでおり、口数が少ない。サノさんにとっても十何年かぶりであろうメーヤウを食して何かに思いを馳せてるのかもしれないし、ここがあまりカレーを食すに適した場所ではないので速やかに平らげようとしているのかもしれない。

わたしも負けじと勢いこんで、しかし慎重に身の丈に合った量のカレーをごはんにかけては食べつづける。か、からいよう。だんだん耳の中が痛くなってくる。中耳炎や外耳炎のように、耳管の奥のほうがひりひりと痛くなってくるのだ。「サノさん、耳痛くなりません?」また隣を向いて声をかけると「耳……?いや、なりませんね。」とサノさんにはまったく同意してもらえない。おかしいな。そう、辛すぎるものを食べると耳の中が痛くなる。これを誰に言っても、そうだね痛くなるよねと言ってもらえないのだ。サノさんは良い人なので「口の中と耳はつながってるといいますからね、そういうことなんですかね。」などと話をつないでくれているが、耳の感覚を共有できない寂しさは補えない。ここでゆで卵とジャガイモを4分の1ずつ食べる。厳しい辛さを柔らかく中和させてくれる優しい卵とイモ。

耳の痛さに耐えながらなお進む。そうだ肉を食べよう。カレーの中に沈んだ骨つき肉をすくい上げてかぶりつく。骨から素直にはがれる肉はジューシィで柔らかく、なんて丁寧に扱われ煮込まれた肉なんだと嘆息する。ひと思いにすべて食べつくしてしまう。ペース配分もなにもあったものではないが、おいしいものはしかたない。皿に残っているものはカレー、ごはん、そして卵とイモだ。戦いはどんどんシンプルになっていく。

ふと隣を見遣ると、いつも柔和で寛容な表情を湛えているサノさんはこれまで見たことのない目をしていた。今目の前の敵を倒さねば人類は滅亡する、しかし残った武器はこの手に残った剣のみ、勝ち目はあるのかしかし一太刀一太刀を全力で振るしかないみたいな感じでカレーを見据えながら黙々とスプーンを往復させている。なんでカレーを食べているだけでこんなに鬼気迫る表情をしているのか。顔は紅潮し尋常でなく汗をかいている。でも耳は痛くないそうだ。

わたしはというと、スパイスが耳を通り越して脳に作用しはじめた。頭がクラクラしてまともにものが考えられなくなってくる。そうだこの感覚だ。学生のころもメーヤウでカレーを食べた日は意識が朦朧としてしまい、友人に「午後の授業だいじょうぶなの……?」と心配されたものである。卵とイモに助けを求めるがそろそろ彼らの救済も意味をなさなくなってきた。

ふだんはさほどお喋りではないほうなのだが、たいして中身のない無駄口がどんどん口をついて出てきてしまう。サノさんは良い人なのでいちおう相槌を打ってくれてはいるようだがこんなつまらない話を聞かせて申し訳ない気持ちになる。しかし止められない。やがて呂律が回らなくなってきた。わたしは辛さのあまり酔っ払ってきたようだ。

「すいませんサノさん、わたし酔っ払ってます。」こう告げるとサノさんは「だ大丈夫ですか……?」とわたしを心配そうに見ている。なんとサノさんはもう食べ終わっている。すごいな。メーヤウに打ち勝った強い人だ。その勇敢さにサノさんへの尊敬が増す。わたしのほうはまだごはん半分ほど、そしてカレーは4分の3くらい残っている。酩酊状態だが満腹ではないので食べ続けることはできるはずだ。卵とイモはとっくになくなった。あとはなんの助けもなく、自分の力だけで、頂上を目指して山道を進むように次の一歩だけを見て踏みしめていくほかない。そして、そうしていればいつか必ず頂上に辿り着くはずである。勇気を出せ。

耳の痛みと頭のクラクラはおさまることはなく、平衡感覚すら失われてくる。背もたれのない丸椅子に座っているので体が大きくかしいで後ろにひっくり返りそうだ。だがとにかく食べ続けるほか道はない。悲しくも悔しくもないのに涙がにじんでくる。朦朧とした意識の中、隣のサノさんが小さい声で、小さく拳をふりながら「がんばれー。がんばれー。イロコさんならできる。がんばれー。」と応援してくれていることに気づく。カレー食べてるだけなのに、こんなに心から応援してくれるなんて、サノさんは良い人すぎておかしい。わたしはそろそろ失神しそうだ。

しかしサノさんの応援のおかげで、心象風景としては足のつったマラソン選手がこれ以上走れず、片足を引きずりながら、最後の直線を歩いてゴールを目指す姿に自分を重ねながら終盤を迎える。つうかごはんはなくなりそうなのにカレーはゆうに半分は残っている。これはカレーの完食は難しい。残念だが自分で自分のやった結果を受け容れるべきだ。もはや、ここまで。涙と鼻水をすすりつつ、残す罪悪感に苛まれつつ、カレーの容器に蓋をしたら残ったカレーはもう見えなくなった。

「ごちそうさまでした。」またサノさんと厳かに声を合わせ、メーヤウの旅は儀式のように終了した。そのあとお茶でも飲みにいこうなんつって、10分ほど歩いてこれまた懐かしいカフェに入った。涙こそ止まっていたがまだ頭は朦朧としているし耳の中は痛い。そうしてふたりしてほうじ茶ラテとかロイヤルミルクティーとかともかくミルキーな飲みものを注文した。さらにバニラアイスください、と追い乳製品を注文する。これらを小一時間ほどかけておしゃべりしながら摂取することで徐々に体内は鎮火され、意識は正常レベルに回復した。そう、われわれは日常に戻らなければならない。学生のころのようにこのままだべり続けて日が暮れて鳥やすに移動するわけにはいかないのだ。
「じゃあまた。」といって大人らしく、区切りよくわれわれは解散した。

以上、ひとつの誇張もなくわたしの身に起きたことをそのまま記した。同様の体験をしたという声がたくさん、いやひとりだけでもいい、わたしに届くことを願ってやまない。


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