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1/13 スマホを充電器に挿しし器(人間)

週末に居合わせた人が今朝発熱したらしいと、立ち合いで参加した上司から連絡が来た。今朝は朝から立ち寄りが一件あったのだけど、至急リモートに変更。まだ上司が濃厚接触者かは分からないけど、いやそれでもお互い出社すんの?まじ?

"だからこそ"出社すんねん!
『creepy nuts ann0』を聴きながら道を行く。死んでもカフは下さねえ!だと?
リモートしろ馬鹿!!


ボブとの往復企画の締め切りが今日で、本来は土曜だけど翌週の水曜日をラインとしよう、という認識をボブと共有できていなかったらすでに4日締め切りを過ぎた野郎なのだけど、とにかくこれを書かなくては行けない。
これは前書きに書くような話かもしれないけど、この企画をやろうと話した次の日から、街を歩くだけで、企画テーマである「ヒーロー」に関連するものが目に飛び込んでくるようになった。ちょうど友田とん『パリのガイドブックで東京の街を闊歩する』を読んでいた時期で、パリに関する本を集めるうちに、自然とパリの方が自分に集まってくる感覚に気づいたと書かれた章があった。「パリのガイドブックで東京の街を闊歩する」ふいに頭の中に出てきたこのフレーズの力に突き動かされるように、パリのガイドブックを読んで東京の街を闊歩しだす奇人変人ぶりに、なぜか友情に近い感覚が湧いてくる。
池袋の喫煙所からMARVELのポップアップショップが見えたり、ブックオフでPUNPEEが特集されたQJがあったり、この企画の成功を全く関係のないところから予感させる出会いがあった12月なのに、
今月はなぜか何もない。
何もないなりに、書く。
この企画タイトルも、そこまで悪くない気がしているのだ。



仕事で別チームに連絡したら、皆さん基本的に在宅らしく、来週の打ち合わせもできればリモートがいいとのこと。
もちろんです、そうできるよう調整しますね!と電話を切ったのだけど、変わらず出社している一年目がチームのテレワーク環境を整えている現状は虚しい。
気持ちよく働くための調整は全然気持ちよくできる仕事なのだけど、シチュエーション総じると気持ち悪い。自分が出社していることに自己犠牲の面を感じ始めたらヤバい気がする。だから、出社していることの必然性を早急に実感しなければいけない。

なんとなく会社にいることの孤独感から脱却するために、いまこの日記を書いている。
地下へと降りる、狭くてかび臭いエレベーター、扉が開くと、さらに狭い空間を囲む赤茶色
の壁、ぎっしり貼られたステッカーやパスの数々。左側の黒い扉のレバーを下ろし、体重を乗せて引っ張る。どこでもドアでもないと行けない空間なんですかね。「劇場版ドラえもん のび太と金のドリンクチケット」面白かったっすね。あれ、MARZの配信だけでしたっけ。

「Please recharge headset」音楽が急に止まって流れる、イヤホンの電池残量低下を知らせる音声。まっすぐ家に帰って飯を食って、部屋で本を読んで煙草を吸いたくなって外へ出てしばらく経っている。
朝起きて、会社に行って、働いて、家に帰り、同じような時間を過ごして、酒が回って眠くなったら寝る、スマホを充電することだけは忘れずに。

バッテリーで動いているのさ、君はこれまで一度も気づかなかったかもしれないけど。今年で四半世紀生きたことになるのだろう、ならば教えなきゃこれからの君の人生にもかかわるし、本来ならバッテリー交換の時期だから。だけど君が生まれる前に技術は進化してね、多少負荷をかけても充電しすぎても、消耗度合は天地の差だよ、旧型に比べたら君の世代は虫歯にもなりにくい。
そういきなり、アンペアの神様に言われたとしても、はあそうですか、そろそろ夜なので充電して寝ますね、とか言ってしまいそうだ。
自分の生活はスマホを充電するためにあるのかもしれない。誰かと会って話したり、ライブに行ったり、だらだら一緒にいたりすることがなくなってしまうと、自分に何もないような気持ちになる。視界はどんどん内にこもって、俺はもう、一か所に居続けた、住み続けた、早急に引っ越したほうがいい、そんなことを考える。

3020年まで、ずっと、友達でいよう。
SuiseiNoboAzが久しぶりにアルバムをリリースしていた。今日も総理大臣は会見から逃げた。だけど今日、自分がアンペアの神様に出会うことなく、1000年後のことを一瞬でも想像できてよかった。

最新を追うのはやめることにした。「iphoneを焼く」という名前の日記を更新する友達が、日々追加され続けていくコンテンツとの折り合いに、もうそれを捨てる方向に舵を切ることにしたのでいいのだ、と書いていた。時間だけが過ぎて、コロナが一切なくなる気配のない、教科書に隠れて漫画を読む能力者の戯言、言葉の「言」という字を含む「戯言」とも表現したくないけれど、とにかく年だけが越して、そのせいかなんとなく2周目に入ったような気持ちになっている誰もが、そう思っているような気がする。
俺も『霜降りチューブ』を見るくらいの惰性とは縁を切った。友達は新しくiPhone12を買ったらしいけど、使わなくなったiPhoneSEはちゃんと焼くのだろうか。焼くというのなら、どこかの河原くらいまでなら付き合ってもいいな、隣でマシュマロとか焼くのに。

友達かも、に高校の同期が出てきて、鍵垢だったので申請してみる。リクエストが許可された鍵垢の投稿写真数が1だとなんか損した気持ちになるっすね。そう思って自分のホーム画面を見てみたら、もうなんか、その時々に面白かった番組や映像のスクショだらけで、投稿数事態も減少傾向にあるのは間違いないけど、それにしても去年投稿したものに自分を映した写真がほとんどないことに、少しショックを受けた。自分の写真を載せる自意識との折り合いは一昨年には解決したつもりになっていたから、とにかく昨年の一年間、自分のことを自分でいいと思うことがなかった結果を思い知る。いい、というか、楽しんでんなコイツ、いい調子だな坊主、という可愛げが生まれる隙がなかった、ガチガチだったじゃんお前、というのはもう第三者からの介入、抑圧の表出でしかないんじゃないか。あ、あいつ漫画読んでると思ったら弁当も食ってる、指されたら声小さくなってイライラさせてくるやつか頭おかしい奴しかいねえのかこの教室。
じゃあ今年は、みたいなことも考えられなくて、だからより一層難しい、一昨年つけた名札が未だにぶら下がってる。

自分はまだ、毎日の生活を送るという基本的な行動で消費されるHPの消費スピードやら残量やらを確かめながら慎重に生きることが許されているし、できているけど、例えば普段であれば、ケツの穴をアルコール除菌してからウィダーinゼリーを一息にねじ込んで、それが漏れないように相手の舌をねじ込んでもらうことで生まれる数秒の緊張と快楽で一週間をぜえぜえ生きる人とか、HP がそのまま金に換算される商売をされている方とか、あれ、今なんで汚いことを考えたんだろう、とにかくそういう人はいよいよ、なんじゃないか。心意気だけで立ち続けることも、支えあうことも、いよいよになってきている場所がある気がしてならない。しかも、心意気なんてものが育つ余裕や場所すら、たった数年前に比べて急激になくなっている気がしてそれも怖い。馴れ合いか自分の利益かってそれ文春砲以前の時代じゃない。起死回生ってポケモンの技だから、基本はフィクションで、何かに寄りかかってそれが起きる可能性には、なんとなく搾取とか偽証みたいな臭さがすることに気づいているのか、それとも気づいたうえで手のひらのOS1を握りつぶしているのかどっちだ。鼻に栓をするには十分な環境、鼻栓を取る技術に長けてるっぽい人はゴロゴロいる、恐ろしい。

会社員をやっている自分と、それを理解している自分との間に数ミリの誤差ができている気持ちに今日なった。なってから飲む酒はもう機能を発揮してくれないから酒はズルい。お前は結局飲んでもらう消費者様の友人や、それを提供する店のサービスや空間、ついでに喫煙の可否に依存してその価値を最大限に高めてもらっていたということを自覚しろ。分かったか?
分かったな?よし、じゃあ今からお前ら、建前だろうが本音だろうが自分の言葉で話せないド変態腐れ野郎どものケツ穴に太巻きBuddahしてこい。舌賛してやる。

***

「文學界」2月号掲載、柴崎友香『知らなかった、と人々は言った』を二回読んでみたのだけど、すみません、まだわからないところがたくさんあります。
でもまず、この掌編は、居酒屋にいる「おれ」が、向いに座るタカミと澤田の会話を聞くところから始まって、父を看取るために帰省した澤田がそこで体験した出来事と、そこから派生した学生時代のつらい過去を語るうちに物語の1人称が澤田の「わたし」に移っていくところがすごかった。
グラデーションではありつつも、一応伝聞の形だろうと進んでいた澤田の話が、一瞬にして「わたし」に切り替わる箇所があって、やがて話が緩やかに着地して「おれ」に戻るまでの部分にすごく感動した。

父親が死んだのは真夜中だった。そのとき、わたしはそこにいなかった。
 突然こんな話になって延々としゃべっちゃって申し訳なかった、ここはわたしがおごるから、そして今から楽しい話をしますから、おもしろい話のほうがいいですよね?おもしろいにも種類があるから、どういう感じのおもしろいのがいいかな。
 と澤田は言った。いえ、なんか貴重な話だったし、とおれは言った。

「申し訳なかった」から「いいかな」まで、澤田の過去から居酒屋の現在に至るまで、急速になめらかに縮小する段落だけで、何回も読んだ。喋る言葉と文章の言葉、どちらかだけでは再現できないから読むって面白いと思う。
ここからまた、題名「知らなかった~」に沿う話が一つ生まれ、「おれ」はズーム飲み会で同窓会に参加し、その後澤田のことを考えながら何かに気づこうとする。物語はそれで終わる。

「知らなかった、と人々は思った」の目線は、人が基本的に備える客観の視点で、多分に漏れずそうだった「おれ」が、自分も、いや、自分こそが、「人々」のなかに含まれていることに気づく、先にそれに気づいたタカミからもらったアレッポの石鹸を使用することで。
ということなんじゃないかなあ、どっちでもいいけど、この話には今が入ってる。もっと、好きな作家の作品くらいはせめて、深く読めるようになりたい。

今月の『文學界』を読むのには時間と甲斐性が必要で、ゆっくりやろうと思っているのだけど、先にページを開いた、今月スタートの荒木優太の新人小説月評、よくないっすねえ。













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