11/28~12/4

日曜日
昨晩何度も確かめた目覚まし時計が5時半に鳴る。「目覚まし 爆音」で検索した一番上に出てきたそれは20種類くらいの目覚まし音が内蔵されていて、身体に音の種類が慣れると起きれないのではないかと考えたことがあるから、この目覚ましは優秀。今日どの音で起きたかを思い出せないのは、だから良いことなのだ。iPhoneで起きていた高校時代、自分のミュージックライブラリーから好きな音楽をアラームに設定できる機能で色々試していたのだけど、設定した曲は全て大嫌いな曲になってしまった。
寒い。普段起きない時間の冷え込みを自分が知らなかっただけか、最新の季節感覚か判別しづらいけど、レンジでカップに入れた水が温まるのを待つ間、火をつけた煙草の匂いが部屋に充満していく。火で暖をとる場合の最低表面積はどれくらいだろう。
目覚ましを確かめる前に渋々中断した番組をTVerで再生する。又吉チームのコントは早朝に見て楽しく笑えるものではなかった。いや、冷え込む早朝から見て笑わせてくれるお笑いなんて存在しないかもしれない。だから正月の生放送は、せめてセットや照明、衣装までを明るく賑々しい雰囲気にして、画面の向こうの寒くて薄暗いいくつもの起き抜けに温度を伝えようとしているのか。

忘れ物に気づいて引き返し始める地点として、ちょうど全国平均のところで立ち止まる。昨日一日持ち歩いた紙袋の重みを体が覚えていたから違和感が生まれる。オードリーのANNでは若林が「ファイト・クラブ」、春日が「トップ・ガン」を見た話を新しいものを取り込めないオジサンとして卑下していたけど、時間をおいた同じ作品で記憶を更新したり人生を振り返る方がよほど真っ当な生き方のような気がする。
馬場の松屋で290円の朝定を食べた、これは朝早いバイトや一限に向かうときの定番だったやつで、何をしっかり腹ごしらえして午前中に臨もうとしてんだ、気合とか入っちゃってんのかお前、と恥ずかしくなる。商店街を駅に向かう若い、原色の面積が広い服を着て、死んだ髪を脱色した、だけど表情から感情がアスファルトに滴り落ちていく人たちと何人もすれ違った。松屋の朝定食って仕事に備えて出社する人間として一番見たくない、でも、自分も同じなんだと引っ張られるそうになるほど最近は自由に遊んでいないのかもしれない。
ターコイズ、ブルー、イエロー、と唱えるとしたらなんだろう。120秒のカウントか、自分がそうやって送った日々の残滓を感じることがもう、しばらくないと思うほど、過ぎるペースが早い。
守衛室でカギを借りて、セコムの解除ボタンを押す。一服しようという頃に、スタッフが1人やってきた、火曜日に待たせていた人だったので今日は待たせずに済んでよかった。昨日までいた静岡は暖かく東京の寒さに驚いたというので、今朝の感覚はごく自然なものだったらしい。ライターの火をつけながら、台所の換気扇を止めてきたか不安になる。劇団排気口の作演が書いた文章(『金曜日から』に寄せた)を読んで、やっぱりもう一度見に行ってみようと思った。

カギを開けたらあとは15時まで待機、柴さんの『平成のヒット曲』を読んでいたらあっという間に時間が経つ。森山直太朗の章で「スタンダードソングの時代」が語られ、カバーブームまで言及されるところまで読みごたえ抜群だった。Greeeen「キセキ」回のタイトルが「ガラケーの中の青春」も巧妙。そして、個人的にこの本と実感がこもった自分の生活が並走し始めるのもこの章から。確かにガラケーと着うたの文化はほんのわずかな期間の流行で、綾香「三日月」もこの辺だ。カラオケのトップランキングに一曲もない嵐という見方は面白く「やっぱり知らないうちに歌えちゃうんだよね、全部」と爆笑太田が話したSMAPとの違いが象徴されるようだった。

誰もいない休日の部室は底冷えがすごく、正座とあぐらを組み替えながら、時間が来た。
そこからの記憶はほとんどない、脳内のチェックリスト、現場の人間に物怖じしない気合、単純な肉体的消耗、すべてクリアして一息つくままに、20時に会社を出てアングラに入った。
タップが3つしか残っていないくせに平気な顔して営業しているのに腹が立った。2杯で家路につき、とにかくカラオケに行きたかった。

月曜
仕事帰りに赤羽のねぎしで腹を満たして20時。何でもできるけど何をしたらいいか分からない。ざっくりいうと友達と酒でも飲みたいけど、自分が友達と楽しく話せるメンタルかわからず(何が面白いのかわからなくなっている期)喫茶店で『ヒットの崩壊』を読み進める。『平成のヒット曲』ほど目を見張ることもなく、むしろこの本を下地に書かれたことを確認するのだけど、気づきえぬ切り口は自分の生活圏内にあるトピックスにはないし、感動は迎えに行かないとやってこない。それにしても不十分な感情を持て余して、ポップライフポッドキャストを何本か回してみる。
ロロ『いつ高 本が枕じゃ冬眠できない』、コンプソンズのテアトロコントのいずれもYouTubeで見れるのを知っていたのだけど、いまいちピンとこずにダラダラした。それにしても、思い出の演劇すら見直すことができる時代にいつかなったら、いよいよ何にも手が付けられなくなると思う。
帰宅して『水中の哲学者たち』を読みながら寝落ち。

火曜日
ポップライフザポッドキャスト、リアーナについての回ゲストの池城美菜子さんがよさそう。いつか読んだsilksonicの歌詞に関するブログはこの人のモノだった。
TURNというメディア、佐藤優太というライターのことも知る。
http://turntokyo.com
朝一に講習を受けて、昼を食べたら出かける。片道1時間かけて客先へ一人で向かえるなんて素晴らしい。たっぷり寝て、『ヒットの崩壊』を読み終えた。一時間と少し雑談して帰ったら終業時間。働いた気がしない、最高。

つやちゃんがTOKIONで連載しているラッパーとファッションの記事が面白くて、初回から順に読み進める。知らないふりをしてきて実はすごく興味のある切り口で嬉しくなる。
https://tokion.jp/author/tsuya-chan/page/2/

水曜日
午後は17時半まで仕事。去年と同じ場所と人。喚起のために窓を開け放った部屋はとにかく寒くて、チョコレートを湯煎した型で抜く作業が全然うまくいっていなかった。
誰の興味もないサイト、公開日になってシステム的な作業をしてもらう人のスケジュールを押さえておらずバタバタした。ヒヤッともしないけど。
両国に着くまでM-1準決勝のネタを見る、大江戸線の車内はやっぱりうるさい。最近はコントや芝居を見続けていたからか、漫才の個性がよくわからない、みんな完成度が高くて面白いことだけがわかる。
その中で「ゆっくり近づいてきとうな!」のデルマパンゲが面白かったのと、「空手だから」の三日月ヶ浜は新しいから印象に残った。YouTubeで見れている時点で決勝では見れないのだけど。競技としての漫才ってどう見るものなんだっけ、というのは審査員のことを知らなければ絶対予想できない気がする。

”両国の一休”を二軒梯子して、3軒目まで、前回来たときと同じルートで酒を飲んだ。早稲田の一休より飯がうまい。
友達と会話する情報量の多さが、他で会話するときよりも多いのはなぜか。時間が長いせいかもしれないし、久しぶりだったからかもしれないし。好きな友達と話すのは楽しい。
『ドライブマイカー』の話を始めたときにダーツを一回触ろうということになり、中断と再開が順番によって強制されるゲームに遠藤さんがキレていたのが真っ当すぎてよかった。話している方が楽しいのになんでダーツをするのか、ということだった。
みな等しく終電を逃し、最後に墨田川を見たい俺が駄々をこねて、2時半頃布団に入った。一人暮らしこそDIYだな。

木曜日
『ホークアイ』が面白すぎる。行きの電車でアプリを開くと、昨晩タクシーの中で途中まで見た形跡があるけど何も覚えていなかった。矢尻大喜利にも満足。アベンジャーズの中でホークアイは「刺さる」がリアルで、最初の戦闘シーンに少しドキドキした。
二日酔いのままデスクで何をするでもなく時間をつぶし、午後のインフル注射のタイミングで午後休にした。
町屋良平『ほんのこども』

金曜日
先週2日間も休みの日に働いた分の代休、まとまった期間毎日出社していたのもあって、昼過ぎまで寝て14時までゴロゴロした。布団を出る前から誰にも会わない今日がちょっと寂しい。どうしたら心細くない毎日が送れるんだ。
服を買いに行くとか不動産屋に行くとか髪を切るとか、そういうのが全部面倒になって、本を3冊くらい持って家を出る。fuzkueに行けば良いのだろうけど、今日みたいななんでもなさそうな日はなんでもないままに終わって良いような気がした。

ジュンク堂で
武田砂鉄編纂TBSラジオ記念本、オークラ本は数年後もブックオフに並んでいそうなので焦って買うのはやめた。新刊ゾーンにあったスズキナオ『』が面白そうで購入。
それでヴェローチェに入って結局『ドキュメンタル10』をフル視聴しちゃうんだよなあ。。と思いながら最後まで見た。小峠が脱落してから途端につまらなくなるのは、見てる側も笑うのを我慢しようとして、面白いのが何かわからなくなるからか。山本がいることのストレスはシーズン3の比ではなかった。100万円の参加費がない以上、守りに徹するスタイルを評価できないからか。ザコシのホテイソンには大爆笑した。
同じ事務所同士のノリやツボが、そもそもの人数の少なさ、吉本の少なさからあまり出てこないのが俺は好きだった。むしろザコシ小峠ラインがあってそれに気づけた。
何を持って面白いと思う?現象か、関係か、自分の物差しには何が書いてある?そう考えさせられる。今年のM-1もそうなるだろう。


土曜
タイムズで昼飯。
『旅のない』を途中まで読み直して、スポット仕事に立川まで。17時退勤社橋本さんの新しい本を読みたい。
ロンハー「次のかまいたち選手権」タイトルと内容が全く関係なくて最悪だった。企画なんていらないのかもしれないけど。撮影終わりのマックで『あちこち』ビビる大木・Aマッソ「実は事務所の先輩後輩」は無理がありすぎるだろ。

『ヴェノム レット・ゼア・ビー・カーネイジ』
前作以上の出来ですごく面白かった。今回も98分と短いながら限られた登場人物の背景や動機はしっかり描かれ、ヴェノム対カーネイジの図式からブレることもない。一切無駄もなく、ヴェノムとエディの関係がたっぷり描かれていて何も文句がなかった。ヴェノム&エディ対カーネイジ&キャサディと思わせて、それぞれにアンとシュリークが加わった3対3の図式になっている。キャサディとシュリークの結婚式を結果的にヴェノムとカーネイジの誓いの場にハックするところが素晴らしい。ダン→アン→エディと、ヴェノムが流れ込むクライマックス最高!
エンドクレジットもワクワクする。同日『スパイダーバース』続編のトレーラーも公開されて、しかもそれが”パートワン”なので何が何だか。スパイダーマンは当たり前のように大勢いていい。「親愛なる隣人」はいくらいたっていいじゃん。

「アンがエディを掴むチャンスはないと思う。エディにはヴェノムがいるからね。二人は固い絆で結ばれていて、誰もその関係に口出しすることはできません」
トムハーディがインタビューで話した内容に衝撃を受けた。物語の可能性についてではない。固い絆で結ばれ、その関係性に口出しができないこと、これが、パートナーが意味することなのか。そういう相手を見つけるのが、人生なのかと思ってしまった。友達とパートナーの違いというか。


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