見出し画像

8/11〜17

8/11(火)
4月に放送された特番『爆笑ターンテーブル』が面白かった。
鈴木奈々と西野未姫が「香水」の替え歌で女性タレント枠の移ろいについて歌うネタが特に。
ニコル、みちょぱ、ゆきぽよ、朝日奈央、丸山桂里奈、自分たちがかつて座っていた椅子に座る旬で手練れなタレントを列挙した最後、
「ドルチェ&ガッバーナのその香水のせいだよ」のサビが
「ファーストサマーウイカがトドメを刺しにきたよ」であるところにグッとくる。
テレ朝の加地P番組でないところに出現し、気づけば引っ張りだこのファッサマでさえ、
同じパイの中で争わざるをえない存在だと叫ぶ二人の背中に
血まみれの「女性タレント」の文字が掲げられている気がする。

シスターフッド特集の『文藝』に掲載された王谷晶「ババヤガの夜」を読む。
歌舞伎町で絡まれたヤクザに振るった戦闘力をかわれ、強制的にヤクザ組長、愛娘のボディーガードとなる主人公。
マッチョイムズの中で抑圧された娘と次第に通じ合っていくが、彼女にはサイコパスとの婚約が待ち受けており、二人は逃走をはかる。
作中に何度か挟み込まれる、逃亡生活を送る「ある二人」が、親分の舎弟と駆け落ちした娘の母の現在なのか、逃走した娘たちの未来なのか、というミスリード展開こそあれど、テーマ以上の面白さは分からなかった。
「男には守るべきものがある」的な英雄物語を読んだとしても、とくに何も感じないのと同じ感じがする。
ただ、この物語と、この作品に励まされたと絶賛する宇垣美里の書評を読んでから、読者とエンタメの距離の多様性みたいなものについて、自分が知らなかったことが少し見えた気がする。

『文藝』には秋元才加のエッセイも載っていた。
中学生時代、AKB48ビジネスによって植え付けられた無意識で暴力的な美学とかフェチだとかを改めなきゃいけない日が来ているなあ、とやるせなくなる。
昔はよかった、に流されるには十分なほど楽曲があるのが根深い気がする。
そういうことって既に誰か書いてるよな柴さんとか、と思いつつ自分にとっての黄金期AKB~現役を終えた神セブンたちがニコニコと現場に現れる感じの動画をYouTubeであさり始めた。

あっちゃん卒業発表動画、ドームライブ、たかみな卒業劇場、紅白サプライズ出演に始まり、代々木体育館のライブやリクアワ・・「ある秋の日のこと」のイントロでゆきりんがウインクするところを何度も巻き戻した、部活の合宿を思い出した。やっぱり公演曲が延々と懐かしい。「てもでもの涙」「candy」新チームKが好きだった気がする。

8/12 (水)
仕事終わりに池袋でヨネちゃんと飲んだ。
相変わらず忙しそうで、少しアララの話をしたけど、結局何を話したかそこまで覚えていない。とにかく、友達とあえるだけでこんなに楽しいのかと思う。何かの約束もした気がするんだけど、それすら確かじゃない。

8/13(木)
『テレビ千鳥』、いちばん好きなシリーズで嬉しかった。遠くから聞こえてくる「ぼくの先生はフィーバー」がいちばん面白い。

イトイ圭『花と頬』
めちゃくちゃよかった。

8/14(金)
『かが屋の鶴の間』に加賀が最近出ていないと聞いたのは少し前だけど、聴いてみるとたしかに、賀屋が一人で頑張っていた。

〜画面の中でボケが頭ハタかれるのを見るたび「かわいそう」と言っていた母とは、中学のころから一緒にバラエティ番組を見ないようにしている〜

芸能人の丁寧語として「〇〇させていただきます」系の、へりくだりすぎな表現の連発が気持ち悪いと日頃から思っていた。
それがあったからか、小木さんの「癌を告知させて貰いました」
サラッとした癌告知、めちゃ面白かった。
笑わせるために喋っている人だとわかれば、癌だろうがこっちは安心して笑うだけだ。
「テレビバラエティや舞台におけるツッコミは、ボケにツッコミを入れているところを第三者に見せるためのパフォーマンスであって、コミュニケーションの方法ではない」
というツイートを未来で見るのだけど、この線引きの瓦解って、視聴者だけのせいにはできなくなってきている気がする。
おぎやはぎのスタンスは、昭和すごいじゃないけど、信頼と安心のベテラン感みたいなものか。
小木でいちばん好きなのは、ドリームマッチで伊達と組んだとき、博士のコスプレしたインチキイリュージョニストが箱から出てきたときの、両手を広げて「ハイッ!!」だ。無事に退院してくれ。

8/14(金)
仕事終わりにいつもの居酒屋で。
共同アカウントにさせてくれよ、もしくはお前のアカウント使わせてくれよ、約束したろ?というような意味の「Huluどうにかしようぜ」が、2020年夏を諦めたくない友達の「プール(行く予定)どうにかしようぜ」の聞き間違いだった。

8/15(土)
結局、アララの更新ができず、ほんのり後悔しながら起きる。
締め切り前日を意味する日曜日を迎えたことが本当に辛い。
憎むべき締め切り、だけど愛すべき日曜日。都合の良い関係。
友達に映画を見に行く予定をずらしてもらっう。4時までにケリをつけてやる〜

〜ただ、
古舘伊知郎「Talking Blues」のアーカイブ配信を見るとしたら今日しかなかった。
その伝説化がどれほどのものかは知らないけど、『報ステ』着任中は中断していたこのライブの復活が6年前で、そこからまた長い時間を寝かせて2020年に再び復活。
全身黒ずくめの男が1人、巧みな滑舌で、普段の仕事では押し殺した熱量を「俺」という一人称に込めて舞台に立ちマイク一本、喋り続ける。
山里亮太や安住紳一郎がラジオで話すところでその名を知ったかトーキングブルース。めちゃかっこよかった。

本来なら取れないであろうチケットが、今回は無観客配信ライブ。
嬉しい半面、無観客の1人喋りを成立できるのか古舘伊知郎、どうしてもプロレス的な無理難題興行の物語を期待する。
締め切りが迫る冷や汗を背中に感じながら、画面を凝視する。オンラインエンタメが増えた結果、画面越しの演者がレンズに向かって味わう孤独を感じ、それと対峙する観客としての姿勢は、きちんと進化した。

俺が、画面越しのお前の胸に溜まった部分を吐き出してやる、そう宣言、いや、宣戦布告することで、自身を孤独な主役にショーアップした男は喋り始める。
舞台で笑い声や歓声を浴びたことがない素人目の想像だけど、ネタを繰ったものとそうじゃないものの境は分かってしまう。それまで無観客であることを忘れていた。退屈だと思うところも正直あった。でも、古舘伊知郎が老いる過程を知らない20代の自分が見ても、鬼気迫るものを感じる。

なかでも、安倍晋三、小池百合子、ニューヨーク州知事の順に変身していくくだりには釘付けだった。
演じる「長」たちの語り口調を巧妙に利用し、彼らが会見の場では決して口にしなかった本音を喋らせる。
モノマネ芸の代表である声色ではなく、抑揚や単語の切り方を再現することで、本人を無観客の舞台に下ろすイタコ芸を見せつけるアナウンサー。
安倍晋三は言葉に燕尾服を着せる。これじゃ伝わらない。
小池百合子はどこを切り取っても人をバカにしている。(「とーんでもございません」がブリッジに使う言葉だった)
こんな緊急時に求められる語りは何であったか、成功例として出現したのが、先のアンドリュー・クオモNY州知事だ。彼が喋る様子は4.5月にTwitterで見た。堂々と話し、自分の役割をきちんと分かっている人だと印象づけられた理由がよく分かった。
話芸が強いてくる集中力は生半可じゃない。

そういえば昨日
結局ものまねが一番面白いという話で盛り上がった。
それは声が似てるとか、顔が似ているだけのことではなくて、
(確かその週に『水曜日のダウンタウン』が特定の人物専門のものまね芸人を取り上げた企画を放送していて(それは面白くなかったし、スタジオも面白くないと結論づける潔さが逆に光ったのだけど)、放送後に藤井健太郎がインスタで「生まれ持った見た目一本で稼ぐものまね芸人は、芸を磨く意味が良くも悪くもないから変な奴が多い」と呟いていた)
無自覚に認識していたその人の印象を過剰に演出して納得させる、アハ体験のような魔法だ。ビールを飲みながら、マキタスポーツや、トニーフランクに惚れ惚れした。

古舘伊知郎、1時間半のライブはあっという間に終了した。

全部置いて、池袋に『アルプススタンドの端のほう』を見に行く。
「新しさ」や「アップデート」に重きを置く友達は、ビールを飲んですぐに気持ちよく眠り始めたけど、「巧みさ」みたいなものを心地よく感じるからか、自分は好きだった。
言葉のキャッチボールを通して、”端っこ”に座った高校生たちが、野球部の試合を応援するまで気持ちが転じていく様はまさにそう。
いかにも戯曲チックな話ではある(故にカットやカメラワークの必要性は薄い)けど、一度も映ることのないグラウンドに対する四人のまなざしがこれを映画化するすべてなので、十分に感じた。

8/17(月)
早起きをして、出社するまでに仕上げるつもりだった宿題は、そう決めてから出かけた昨日午後の状態のまま、USBに移されて鞄に入っている。
2週間の猶予があったけど、平日に時間を取れたのは三日四日で、隙間時間に頭を切り替えてすぐにアイデアが湧いてくる下地がないこともあって、伸ばし伸ばしで最後の週末を迎えた。

ヒグチアイ「東京にて」が配信開始された。
朝一にヒグチアイを聴くことなんて滅多になくなっている。
湿度に包まれた炎天下の坂道ならなおさら。小籠包か焼売の気持ちで駅まで歩く。
慎重に歩けば、汗は意外と噴き出してこないけど、歩調を少しでも早めれば、突然止まれば、心が動けば、皮膚一枚が押さえ込んできた液体が表面張力の限界を迎え、止めどなく溢れ出す妄想のチキンレースはとにかく暑い。
電車の冷房に触れたときにはもう汗がドバドバだったのは、「東京にて」「どうかそのまま」を聴きながら歩いたからか、点滅が見えた踏み切りに焦らされたせいか。

案の定、ダメだった。
「想像力を働かせた感じがしないし、お前のワクワクが伝わってこない、頭で考えたんだろうなって企画」
その場でダメを言い渡されるのが久しぶりで、しばらく頭がビリビリしていた。
タバコを思いっ切り吸った。

ダメというのはつまりやり直し、さらに、たとえOKでも、この先ずっと企画出しを続けなきゃいけない以上、中途半端なやり逃げはもう通用しないって、ああこれが仕事かようやくわかった。
タバコを思いっきり吸った。

上司は仕事人で、かつての「48時間働けますか?」時代を乗りこなした世代。プライベートに口出ししてくることは無いのだけど、実家にいるうちは、結婚するまでは、金を自分に投資しろと何度か言われた。リミットの設定はぶっちゃけどうでもよいと解釈して頷いている。
上司が言うのは、知らない店や街に行け、やったことないことをやれってことで、宮下パークに飲み込まれてこいとかそういうことではないのだし。
自粛生活が続いて、キン消しのガチャガチャで鬱憤を晴らす若林のフリートークを聴いてるうちに、このままでもいいか、と思い始めていたけど、会社員1年目の自分が拠り所にしていいのが、今の若林なはずはなかった。

本を読んでいれば幸せなんだけど、『デート〜恋とはどんなものかしら〜』で長谷川博己が演じた高等遊民も性に合わない。
俺たちの仕事って文字情報あんま役に立たないんだよな、と言われたときはクソーと思ったけど、知らない道を歩く楽しさとかも知っていてよかった。
あとは、自分を変えるっていうのも、一つの考え方としてあるんだよ。という言葉は、いいなと思った。金を生む仕事を続ける思考を保つことと、感情や生活を分けて考えて、それを言葉にするフラットさみたいなものが詰まってるなと思った。親ほど歳の離れた上司。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?