12/19~25

日曜日
午前中に家を出て、範宙遊泳『心の声など聞こえるか』を見に行く。
隣に住む2つの家庭に引かれた溝が、後方にあるステージを移動させる際のレーンになっていて、バンドのいる場所が前進すると家庭間の溝も物理的に埋まっていき、侵略され、音楽が奏でられるところはよかった。

山本 環境破壊は止めるべきだけど、その主張を暴力的手段の正当化に使うと優しさが失われてしまう。そこに問題を感じています。自分の正しさを信じないと乗り越えられないものはありますが、それで優しさを失うのは許せないんですよね。どうしても。自分が正しいと思い込む人への違和感はずっとあって、正しさを追い求めて盲目になったとしても、優しさはあって欲しい。なんなら優しさが正義の具体的な意味なんじゃないかと思うくらいです。

川口 意見が合わないから排除する考えになるのは、やっぱり良くない。子どもは「あの人ウザい、でもこの空間で一緒に遊ぶ」ができるんですよ。なんで大人になるとできなくなるのか。それはこの戯曲にも通じる部分だし、「喧嘩をするための虚構の場所」を舞台上に設えていければいいなと思います。

**

川口 お客さんはコロナ禍で本当に大変だったと思うんですよ。やっぱり劇場に来て、他者と出会いたかったはずだから。そこでいま求められるのは、しっかりお客さんと読みの時間を共有することではないかな。

― 「読みの時間を共有する」とはどういうことですか?

川口 演劇の一番シンプルな構造は、物語を共有して、そこにいる人たちみんなでそれを語り継ぐことだと思っています。言葉があって、音楽があって、身体があって、全員で即興的に語り継いでいくことを私はやりたくて。でも上演は、一方的な「私の読みを聞いてくれ」におちいりやすい。それだと、お客さんが語りの主体にならない。劇場は最終的に観客のものだから、お客さんが「ことば」と即興的に出会い直して、その場でその都度読み直すことが起こらないと、わざわざ劇場でやる意味がありません。

― 一方的に伝達するのではなく、即興的に共有する。そのなかで縁がつながり、他者との出会いも生まれてくるわけですね。

川口 このあいだ、役者は何で演じるのかなって考えて、ひとつはやっぱり他者と出会いたいからだと思いました。役者さんは、他人を演じながら「わかった!」という瞬間が訪れることに喜びを感じるわけじゃないですか。その瞬間はお客さんにも伝わるし、そうすることでお客さんも他者と出会うのだと思います。

https://yokohama-sozokaiwai.jp/column/20991.html


月曜日
就活でポニーキャニオンとテレ東に行った以来の六本木一丁目駅。客先とのランチ後に通ったオフィスビルの側面にできた行列は喫煙所待ちだった。無理矢理情けない思いをさせられているのがあまりに不憫で、煙草で並んでますよウッヒャアーみたいなことを通りがてらつい口にしてしまう。おかしなことを強いられているのだから感情を無にしないでほしい。
モグライダー芝さんがあまりにもかっこよかったから今日はスーツを着ている。同僚に、モグライダーは出番が遅ければ優勝していたと思う!と力説されて、M-1って本当にお祭りだったんだなと気づいた。天一の炒飯から揚げセットに苦しくなってから友路有、窓際は脚が冷たい。
『一〇年代文化論』を読み終わり、これは『令和元年のテロリズム』や『10年代お笑いクロニクル』に通じる話だと頭を整理した。
『文學界』高山羽根子、上田岳弘、津村紀久子の短編・掌編。
津村さんのが面白かった。心霊写真に写った女性の歪んだ表情をつい真似てしまううちに親しみを持ち始める。
往復はがきの盗難予告に気づいたのが予告された当日。ここから始まる高山さんのも、コントみたいな入りで面白かった。可愛く不気味、めんどくさがりと阿呆を戴冠した二世の組合せも。
帰宅して真造圭伍『ひらやすみ』2巻読了。雑多な街や物を連想する舞台でたまに訪れるヌケ感がある見開きが気持ちいい。夢は順位や競争へ、労働は時間と気力へ回収されていく。そのどちらからも解脱したような主人公がのんびり暮らすだけの漫画で、彼はそうしたものとは無縁だけど人との縁で日常は回転しているように見える。それを象徴する1話から始まる物語にどんな展開がやってくるのか楽しみ。作者は谷口奈津子の配偶者だった。

千鳥かまいたちアワーの濱家アハ体験顔変化が本当に面白かった。
artistspoken
月曜THE NIGHTで真空ジェシカが吉住のネタを披露していた。オズワルド、ホテイソン、錦鯉のスタイルを切り貼りしつつ、吉住でシコッた話がテーマなので、AIみたいな漫才だった。仕上がってると話題になったのはこれがそのままなのか。

火曜日
M-1回のポッドキャストを確認。ずいぶんと好き勝手なことを話しているし、錦鯉のことを50代チャンピオンとしか感知したくない自分に気づく。でも、ライフイズビューティフルをはじめとする印象的なフレーズで大会を美化する触り方は、ヨネちゃんのいう人生賭けてますよ演出を許容したくない点からも今回はしたくないと改めて思う。てれびのスキマさんが書いた記事は美しい語りだったけど、お笑いがそれ以外をうんこにしてきたように、こちらだって割れた鏡の中でジッとしていいと思う。

それなのに、Abema月曜THE NIGHTやランジャタイの生配信を視聴する自分がいる。国崎がせりあがりの場面で伊藤の背中を叩いた理由がいいオチだった。もともと出番前に誰かに背中を叩かれるのは(叩く側は敬愛を込めての動作なのはわかりつつも)その後の出番でスベるジンクスになっていた。それを出番前にマネージャーからされてしまったがゆえに、直前で伊藤に擦り付けた彼らなりのじゃれあいだったらしい。

所属していたサークルの忘年会で、久しぶりにハナと会えた。企画で縁ができたメイさんと会ってきた帰りに合流できたとのこと。異常に後輩から慕われるこの集団にいるとずっと痒いので、せめて同期がいないと身が持たない。柴さんがかっこよかったからという理由で着ていたスーツも評判が良くて、ただただ楽しい会だった。

水曜日
塙の涙がトピックスになっているが・・というよりもお前がいい加減情報を絞れよと反省する。『漫才サミットのANN』を聴いた。漫才を芸として評論する集いなので以外に聴いて楽しかったけど、働き蟻の割合みたいに、芸人が集まると必ず誰かが場の安定を遮る言動をとる。もはや漫才やM-1を語るうえで冗談は不要になってすらいる。

アトリエ春風舎でムニ『東京の一日』観劇。
岡崎京子作品のように、現在地を示す作品を書きたかったとチラシには書かれていて、それは建物と人間が消失した話だった。

木曜日
代休を取って内見。押上の不動産屋だったので駅を出てスカイツリーはどこかとしばらく視線を動かす、気が付いたら背後にドカンと在るのがデカすぎて笑ってしまった。あれだけ大きいと笑えるから、ゴジラとか本当にいて動いていたら大爆笑してしまうと思う「大日本人」もその面白さはある。この地域に暮らす人からするとその大きさは日常なので、一人首をうんと傾けているのが恥ずかしくもあった。
よさそうなところが2件見つかり、片方を実際に見てもう片方は年明けに住人が退去したら速攻見に行って抑えようと確認して店を出たら16時で、青空の下のデカさに比べると夕方のスカイツリーはただそこに在るだけの物に感じた。

『ホークアイ』6話
結局今年のMCUで一番面白かった。ケイトとエレーナのやりとりはこの先も見たいものだし、1話の鐘楼を落下させるようにクリスマスツリーをなぎ倒すところがホリデームービーとして素晴らしい。アベンジャーズの中で最も機動力が低いのを逆に利用して、アイスリンクで膝をついてスライドカットインしてきたケイトがすごくよかった。
国を誇りに思うアメリカ人らしさが濃縮された最後のミュージカルにどうしても心が動くけど、あの劇場のトイレにも「サノスは正しかった」と落書きがあるわけだし、現在を輝かしく思うだけの地点は存在しないとも思う。それでも、クリスマスのお約束あるあるに心が溶ける(ダサいセーターやちゃんとリボンが巻かれたプレゼント)シーンも多々あって、大満足でした。

池袋に戻って『浅草キッド』を見る。エレベーターでタップするシーンがかっこいい、汚いストリップ小屋(しかも名前がふらんす座)で披露される芸の和洋折衷、テレビで漫才が披露されたあの時代、捕鯨船。立体的に組みあがるすばらしさもありつつ、
朝ドラだったらもう少しウェットに見せたであろう師弟愛的なところをちゃんとサラっと撮るところは好印象で、そうされているだけで劇団ひとりが撮るべきものだと説得力になっている。

芥川賞候補に入った島口大樹『オン・ザ・プラネット』のいいところで閉店時間となり、太郎と伊藤くんの飲み会に合流した。

金曜日
M-1レンチンコンテンツを引き続き。
『やすともいたって真剣です』国崎のポンを説明しなかったか、切ったか。柴さんがいい感じ。
『マヂラブANN0』
『M-1グランプリ決勝体験ライブ』の配信を見て、あとはハライチ含め出場者のラジオを聴くだけにする。


土曜日

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?