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2/16 春のEMCに吹かれながら。

 奇跡的に午前中に起きることができたから、二限の語学は出席できた。その満足感だけで今日はもう十分で、抜けるくらいの青空に春っぽい空気が混じったいま、レモンサワーを飲まないことの方が、出席数にリーチがかかるよりよっぽど罪深い。
「公園で飲もう」とだけ送った同期は3限が空きコマらしくて、セブンの前で落ち合った、ロング缶だなー、だってもう春だぜ?とか話しながらベンチで乾杯して、暇な後輩とかも来て、結局4限は出られなくて、少し酔っぱらったままサークルの会議は気づけば始まり、新歓の担当決めを無視してずっとはしゃいでいたら怒られて、愉快なままみんなで週二回は行く店に流れ込み、瓶ビールをたくさん飲んでワイワイ話して、終電ごとにチラホラ抜けるやつもいて、最後おつかれーと解散したけど駅まで歩こうぜ、やっぱロング缶だなー、だってもう春だぜ?とか話しながら、そんな夜。

 昼休みに駅のロータリーで見えた光と色に何かがやられてしまって、気づいたらセブンで氷結のショート缶を買って川沿いで飲んでいた。先週末から一気に春がやってきて、熱気というより、あちこちでそれぞれがワイワイやっている陽気が当たり前に存在する季節を意識する。地下鉄に乗って会社に戻りながらEMCを聴いてみると、学生時代の思い出しかないことに気づく、むしろ今や未来の生活を感じるリリックなのに。ヒコさんはまだ東京にいて、青春ゾンビが定期的に更新されていたころに過ごした世界は、パッケージできるくらいワクワクしていたような気もする。ポップカルチャーへの愛が綴られる文章が、自分の生活と足並みをそろえたかのようなタイミングで投稿されていく感じが懐かしい。
1作目が上出来だった作品は2作目でつまずきがち、そう聞いてはいたけど、とんだディストピアだ。救いが見えないし、とてもロマンティックはやってこない。でも、昔の方がよかったと思うのは、1と2の世界観が似ているからで、今上演している2は監督もスタッフもごっそり入れ替え、権利も別会社に移されたまるきり偽物のようにも感じて、だからいつかやってくる3では、1の主人公が帰ってくるとか、東京で考え中。

 会社の廊下を歩く感覚が、二日酔いの午前中みたいだった。ということは、二日酔いの午前中なのに働いていることを表す言葉が少なすぎる。別に恋しい気持ちはないし、最後の春休みだって、タイムリミットを心細く意識していたわけじゃない。ただ最近ムラムラしてしかたない、欲求不満だ。先日3年目を迎えたアララを見直すと、妙に面白い。なんだか暇な学生が余裕ぶって偉そうに書いていやがる、生意気だこの野郎、めちゃくちゃいいなあ、あと普通に面白いな、ムラムラすんな。
季節の変わり目は毎回、今がゼロ地点であると感じて心細い。いつか忘れていくであろうこれまでと、意外と持っていけるものが少ないまま迎えるこれからを思って不安になる。未来に希望を持つって、未来を一緒に迎えたいものをたくさん持つことのように思えてしまって、過去を答え合わせできるものを残しておくことに必死になってしまう。
コロナで何もないときにみんな日記を書いたのってそういうことでしょう?
ジャンプで連載されたある漫画の主人公は、手のひらから炎を噴射するグローブで戦った。宙に浮いて炎を噴射すると、体のバランスが傾いて全力を出せないと悩んでいた彼はあるとき、片方の手は敵に噴射、もう片方は逆方向に噴射して体のバランスをとればいいと気づく。少年漫画にしてはなんとも地味な解決策だし、片方から出る炎が無駄になるじゃん、と当時は思ったけど、その地味で理にかなっている感じを今でも覚えている。
意地になって書いている日記は、あのとき無駄だと思っていた方の手だ、ゼロ地点にいる。だけど、本当に相手にするのはどっちなのよと、分かったうえで動けないからムラムラしている、だって本来向かうべきは、100%未来。




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