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5/23(1-5〜9)ステーキ屋のない街から敗走するナポレオン

12時に起きちまったよ、せっかくの土曜にさあ。硬いパンを乱暴に食べることで口内に何箇所か傷をつけながらしかし、これはこれで、ノンストップを見なくていいからいいもんだなあと思いはじめたらほんとに、せきららボイスを見ないで済む朝の爽快感に嬉しくなってきて、朝兼昼を食べ終わる頃にはすっかりリラックスしちゃってそこから昼寝に入った。

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緊急事態宣言解除前夜という言い方であってるんだろうか。週明けはとりあえず出社したくないです、まだ出社嫌ですと言い放って金曜日に宿題をいくつか持って帰ってきている状態なんで、自分がどうなるかはまだわからない。

Netflixなんかまだないころ、地上波でやったファーストシーズン以降『テラスハウス』は一切見れなかった。リアルドキュメンタリーは見ていて恥ずかしくなってきてしまったので、東京2020も1話目を3回に分けて見終えたきりになった。
恋愛ものが苦手なわけではない。素敵な出会い以上の目的を持ってカメラの前に出てきて素顔を見せるフィクションとノンフィクションの揺らぎが直視できなかった。プロじゃないのにプロとして全うする住人たちとの距離感もあまり分からなかった。
けど、それを楽しんでいた人の中にも、その虚と実を捉えきれなかった人がたくさんいたらしい。悲惨な事件が起こり、夜のNHKでも番組名ごと報道された。

つい数日前にも再燃したような、芸能人の人間活動に対するプロ消費者のアレルギー反応とは距離を置きたいのだけど、それは結果としてプロならなんでも受け入れてしまう軽薄さに繋がる気がしてやるせない。
エンタメがSNSというハードを通した活動に集中してしまっている、しかもこのコロナで多くの人の生活がより集中してしまった、幾つも重なった末の最悪な出来事のようにも思うけど、問題は決して時期のせいでもないか。

文春砲に至るまでの時系列的にも、Twitterの民意なんてのがあの閣議決定を押しとどめたことに関係しているとは思えない。何かを表明する場としての効果はやっぱり期待できなかった。そしてコロナのせいで大きな動きにつなげることもできない。

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月曜の休みを強引に主張した足で寄った本屋(3軒回った)で買った『早稲田文学別冊』
が面白い。

論考である以上具体的な事実説明が必要ということは分かるのだけど、
差別を含む事件についてどこまでそれを詳細に書いていいのだろう。
そういったテクストよりSNSのポジションどりのようなものを生活の一部に含んでしまった自分はそんな、そんなところに敏感になっているらしい。
Aマッソのネタ、と書く人もいれば、Aマッソのこれこれこういう台詞を含むネタ、と記す人もいる。検証するうえでどれだけの縮尺調整が必要なのかっていうことによるのだけど、とにかくSNSで下手に拡散すること(バズや再生数稼ぎは分かりやすく下劣なのだけど)にさえ、知識のない善意の暴力性を感じる。

いつからはやり出してるのか知らないが、事件を起こした・巻き込まれた芸能人の親族を語るタイトルの(編集力の問題か、サムネを偽る労力さえない)釣り動画のようなものが出てきたYouTubeを見ると、やはり何かしらの規制が行われるべきだと思うが、直接的ではないにせよ、クリエイターの幅を狭めることになるかもしれないと考えると、単純にユーザー数が増えたSNSは瓦解していくのだと悲しくなる。規制をかけるとしてもそれは法律ではなく運営会社が責任を果たすべきだ。SNSなしに連絡を取りあう人間関係を築くことには間に合わなかったノー年賀状ノーemail世代としては辛い。

ロロ『窓辺』2話「ホームシアター」は聴覚の物語だった。前回が触覚とするなら、最後は何になるんだろう。
久しく会ってないけどインスタだけは繋がってるというのが分かる、、!!だった。

コロナだから会えない人同士での会議ツールとして浸透したzoomが、もともと距離的に会えない人との会話に活用されるようになるのはいいことだった。『A子さんの恋人』のよいに、日常的にスカイプを使う人からしたらなんでもないことだろうけど。

散歩しながらこれを書いている。
zoom飲み会に遅刻しているのでここらへんで。

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