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ポエム・エッセイ

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ポエムのまとめです。わたしの頭の中は、こんな感じです。
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#エッセイ

空模様

空が包んでいるのか、空と一緒に浮かんでいるのか分からないけど、勝手に僕らはその中にいる。 そして、好きなうたを歌って、美味しいものを食べて、誰かを好きになった。 その日の空はとびきり良くて、自分とセットで一日が造られる気さえするんだ。 でも空はいつでも、誰かにとってはとびきり良くて、もっとも悪くて。 勝手に僕らはその中にいる。 雲が動いて、僕らが動いて。 誰かの空を、今は見てる。

そういうもんです

 気温31度から冷房の効いた床屋の店内に入る。受付をしながら、混んでいても予定を変えなくて良かったと思えるくらい快適な温度に喜び、待合室の椅子に座った。駐車場の時点で混んでいるのは分かっていたから、読みかけの電子書籍を開く。  頭がスッキリしている。髪を切る前からおかしな感じだがそうではなくて、眠気や足を組み替えたときの身体の重さまで無くなったような「スッキリ感」がしている。  読書がなかなか進まないときがある。そんなときは、今日は疲れているからを筆頭にして、椅子をもっといい

献血できなかった日

 29日に5度目の献血に行った。  スマホに入れてある献血アプリから時間を選んで予約するだけ、簡単だ。あとは献血予約日当日に、注意事項をチェックして予約したセンターに向かう。献血は車で行くのだが、周辺に大型ショッピング施設があるのと献血すると結構余裕をもった時間分の駐車無料チケットがもらえるので、その後のブラブラ買い物時間に気がいく。メガネケースがほしい。    献血センターに到着すると、体重を計測して受付をする。ポイント(献血するとポイントが貯まります)がある程度貯まってい

羨むことは卑しい時だけじゃない

 いつもの通勤途中に小学校がある。この辺はわたしが育った地域では無いので、詳しいことは分からない。ただ、綺麗で大きな学校。わたしが知っているのは、通学用のバスが出入りしていることくらいだ。それでも、大人になってみると昔は大きく感じたものが小さく見えるものなのに、その感覚からしても“大きな学校”と感じるということは、実際に大きいのだろう。  その学校の校門の前には毎朝、男性が立っている。そして彼は、学校の前を通過する車にお辞儀をしている。にこやかでキチッとした服装だが、威圧感の

誰のものでもない

 夏と冬が行ったり来たりする空と、それを鬱陶しく感じ始めた4月の朝。「雪以外なら、なんでもいいよ」と言った日が、こんなにも恨めしくなるとは思ってもみなかった。今日は30℃、昨日は17℃。エアコンでも、そんな極端な設定にしない。  休日出勤を終えたら何をしよう。映画館に行きたいなと、朝から1日の終わりを楽しみにするのが習慣になってしまっている。もうすぐゴールデンウィークだけど、暦通りの飛び石連休。特に予定を入れることもない。ニュースで見る楽しそうな人間活動は、あくまでもテレビの

いい加減なことが好ましいときもある

 熱しやすく冷めやすいのは相変わらずだから、カフェインレスのコーヒーを飲んで気分だけでも整える。コーヒーカップを唇に当てながら、カフェインレスとデカフェの違いはなんだ? と、たいして興味のない疑問が浮かぶ。ノンカフェインもあるな、と。  まあ、どれかが日本の造語で、あとは英語なんだろうと適当に納得する。  奇心旺盛な人はすぐに調べるんだろうか? と、ズボラな私の頭はすでに別のところにフラフラ歩き出していた。このままにしておくのは気持ち悪いのだろうかと思うと、余計にそのままにし

身体を意識して動かすのは難しい

 寝る前にヨガマットを広げて、硬くなった体を曲げる。気持ちいい。  運動は苦手な方だけけど、柔軟性があるということがその劣等感のようなものを和らげていたけど、それは昔のこと。つっぱる身体の裏側と関節付近の筋たちの泣き顔が手に取るようにわかる。  なるべく、今見ている動画のインストラクターが言うカウントで呼吸をしようとしても、膨らむお腹の皮すら抵抗してくるから上手くいかない。さらには筋が吊りそうな感覚の手前でなんとか姿勢をキープしようとすると、身体が力み、動画から聞こえる「ゆ

不毛な思いは、夢うつつで。

 タイムマシンができたとしても、未来には行けるが、過去には戻れないんだって。それから、人間が想像したことは、必ず実現できるんだってさ。そして、この2つは矛盾に満ちているようでそんなことは無い。みんな未来に本気で行きたいけど、過去に行くことに本気になれる人の数が少い、それだけなんだ。  時間を移動することは、ある時間を構成する成分を限りなく同じ状態で、他の時間で再現すること。この時間というものだって、誰かが思いついた考え方に過ぎない不確かなものだけど、その時間があるものとして

ただサラダ菜をもぎっただけの朝ごはん

 昨日買ってきたサニーレタスの根元に、ちょっと土がついている。「ああ、サニーだな」と思いながらキッチンで洗い流す。本当のところ、サニーレタスの名前の由来なんてしらないし、土がついているのが普通なのか稀なのかも知らない。でも、たまに「いい名前だな」と感じる言葉があって、それだけのことで一瞬の気持ちの高揚とポジティブなエネルギーが湧いてくる。  語感がいい、それだけのことなのかもしれない。そして、それを勝手な想像力で何かに結び付けてしまうのは、癖なんだろう。案外、日本人にはそうい

起きるイベント

 肌寒さに起こされて、カーテンの外の曇り空を一応確認してみる。顔を洗う水は、まだ冷たかった。そして、予約時間を間違えた炊飯器が残り45分のノンレム睡眠。慌ただしい一週間が、そんな感じで終わりに近ずく。  恐らく天気のいい週末。使った頭の中をほぐすには、睡眠よりも適度な散歩が良いと思い、運動用のウエアに着替え外に出た。  速乾性の上下のウエアは風で飛んでいきそうなほどに軽い。これで2千円くらいしかしないなんて企業努力の賜物だと関心しながら、朝3番か、4番の伸びをした。シャカシャ

証明できなくても

 シンクから普段聞かない高い音がして、恐る恐る覗きに行く。このときの「恐る恐る」は、べつに不気味に感じたのではなくて、音の種類からして何の音かは想像できていたから、「え? どこか故障したか?」という面倒臭いことを懸念した恐る恐るだ。 ……ぴちょん。  シンクに置いた小皿に、蛇口から水滴が垂れる。小皿が渇いて汚れが取れなくなるといけないので水を溜めておいたから、そこで水と水滴が衝突する音だった。まえにテレビ番組で見たことのある、グラスに入れる水の量を調節して音楽を演奏したり

許されるなら、なみなみと

 湯呑みが、必ずしも適量のお茶で満たされるわけではない。7割か、多くても8割入れたところで一杯とするのが普通だろう。    鞄はどうだろう。  なぜか、たくさん入れたくなる。入れたまま出さないかもしれないノートや持っていると安心するお気に入りの文庫本。着替えのTシャツ、靴下。もしもの時の絆創膏。なんでもかんでも入れて安心する。  写真も似ている。  画面いっぱいに記憶を書き込む道具。端っこの角のところまで、しっかり思い出が入る様にシャッターを押して。  それをスマホにいっぱ

卑屈になると偏見の塊になってしまう

「悪い」イメージが昔はもっとカッコいいものだったのに、最近は悪い=カッコ悪いになっていることが残念だ。 だけど、「悪いイメージがあるもの」にも格好いい魅力があるはずで、それを感じること事態が格好が悪いことだからと決められるが嫌なのだ。少なくとも世の中が、そういう流れに行ってしまいそうなのが気味が悪い。 世界的に色々なものを差別なく、フラットな目で見ようという流れが強くなるのもいいけど、それと同時に白と黒をはっきり分けたい人の声も強くなるのが気になってしまう。 弱者を虐げるな

水曜日をのりこなす

 あくびを噛む朝。静かな部屋と窓の外に、カラスと野良猫くらいは鳴いていた実家の静かな朝を思う。ニュータウンと銘打って数年前から開拓されている住宅街には、おせっかい者は住みつかないらしい。換気の為にアパートの窓を少し開ける音さえも、シーッと人差し指を立てていた。  朝食の準備をする。  上品に沸騰するお湯と、下品に回る簡素な換気扇。  投稿サイトで"BGM”と検索して出てきた音楽を選び、ヘッドフォンで耳の中に閉じ込めてから、トイレに向かう。素足で歩くフローリング。  足音の無