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ポエム・エッセイ

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ポエムのまとめです。わたしの頭の中は、こんな感じです。
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2024年3月の記事一覧

水曜日をのりこなす

 あくびを噛む朝。静かな部屋と窓の外に、カラスと野良猫くらいは鳴いていた実家の静かな朝を思う。ニュータウンと銘打って数年前から開拓されている住宅街には、おせっかい者は住みつかないらしい。換気の為にアパートの窓を少し開ける音さえも、シーッと人差し指を立てていた。  朝食の準備をする。  上品に沸騰するお湯と、下品に回る簡素な換気扇。  投稿サイトで"BGM”と検索して出てきた音楽を選び、ヘッドフォンで耳の中に閉じ込めてから、トイレに向かう。素足で歩くフローリング。  足音の無

雪の国の住人

それはビニール傘の上に乗った積雪を見上げたときのように かつて、巨大な大陸が割れて形を変えたことを想像させるように 雲が動いている スノードームの硝子の上にある「埃の国」 毎日、よく晴れていて 毎朝、月と太陽が見える いがみ合っているのか 仲が良いのか それは「埃の国」の住人たちが想像すること 多分、月には誰かいて 太陽にも誰かいる その誰かになりたくて スノードームの中で空を見る

夜の散歩道

 19時を過ぎた住宅街の駐車場はもう静かで、団らんを終えた家々から漏れる明りが控えめに夜道を模っていた。今日は、何も無い日だった。休暇ではなく、絞っても何も出ないカサッカサの一日。それが嫌でこうして夜、すこし歩きに出た。  間隔の広い街灯の下を歩くのはそれほど気持ちのいい物でもないが、今日はまだ星が見えるのでいくらかマシだった。夜風も気分のいい具合に春の温度になってきている気がする。といっても、上着がないとまだ寒い。通り過ぎる塀の向こうには、椿の花が暗がりに咲いている。ふっく

飛んでった先にある世界

 過去に戻る原動力が思い出なら、タイムスリップが成功したのに元の世界に帰って来る人なんていないだろう。  曇り空は斑に濃淡のある薄い青で覆われている。その障子戸の和紙みたいな空に、誰かが悪戯して指を突っ込んだみたいな穴がひとつ空いていた。雲の上の明るい光がその穴から漏れ出し、偽物の太陽の顔をして日輪を纏っている。その光景は光が漏れ出しているはずなのに、今日の分の光を地上から全部吸い上げているようだった。  鳥がいない。裸の街路樹だけが、だらしなく枝を曲げている。  友人が空

独り立ち

 卵の殻が割れて落ちた。  その落ちた殻がみるみる形を変えて鳥になると、すぐにそこから飛んでいった。  その場に残ったのは、見えない卵型のなにかだけ。そのものは目に見えず、触れられない。  たまに何かがやってきて掃除したり、卵があった場所を眺めたりしてまたどこかに行ってしまった。親鳥だろうか?  その何かは、毎日来るわけではない。ほかにする事があるのだろう。でもそこに卵があったことは忘れないようで、何も見えないその場所を綺麗に保っているようだった。  この鳥は、飛び回るのが得

一生懸命何を見ているんだろう

 最近は、健康と興味本位でヨガをたまにする。ちょっと検索すれば余るほど動画が出てくるから困らない。やはり、自分の関節が硬くなっている。運動は苦手な方だけど体の柔軟性はある方だと思っていたから、すこしショックだ。  でも、それよりもジャッキーチェンがおじいちゃんになってしまったのをネットニュースで見て、時間の流れを実感する。  何でもすぐに見れる。  当然、わたしが動画を再生しなくても、前からヨガをやっている人は日本中にいっぱいいて、わたしがネットニュースの記事を見なくてもジ

シンクロニシティ

 100円で買ったハンガーが濡れた洗濯物で曲がるくらい当たり前のことなのに、ショックを受ける。ついつい調子よくしゃべっていると軽口を言ってしまい、あとから「不快にさせただろうな」と後悔してしまう。  そんな癖があることは重々承知で、後悔と共に改めなければと思うのだがうまくいかなかった。今まで、そのせいで相手との関係が悪くなったことはないのだけれど、確実に一言多かったなと自己嫌悪する。言動が漏れる自分にガッカリする。なんて、不満の多い人間なんだと。  にこやかに毎日を過ごし、

あっちに行こうか

 朝から、新しい鞄で出かける週末のことを考えている。  久々に新調した普段使いのカバン。GWの予定もなかなか決まらないけど、とりあえず直近の休日を楽しむことに注力したい。配達予定日のお知らせが昨日届き、アイテムを手に入れたぞという実感に浸っている今は、RPGゲームの宝箱から装備アイテムが出たときのような気持ちだ。  今日は休日出勤になってしまい一日楽しみが減ったが、車の助手席にその新しい鞄を乗せて出かけるだけでも、少し高揚感があるはずだ。    新しい鞄に、新しいノートと読み

さよなら #ポエム

さよならは当然のようにさみしい ただいまを言うのは反射的になってたけど それでも十分 気持ちを込めてなくても十分 誰にも聞こえなくても十分に安心だ いただきますも同じような仲間のような気がするけど ひとりでは言わなくなった ありがとうが恥ずかしくてサンキューて言ってから 聞こえないくらいの声でありがとうって追っかける いってきますを言う相手は居ないけど ただいまは安心して言える おかえりは幻聴 知ってるだけでいい だから さよならは外で言って さ

少しの憧れは、いろんなところにある

 書店に行くと足を止めてしまう手帳コーナー。ちょっと憧れのようなものがある。でも、わたしは見る専門、手帳を持っていない。  いまだに手帳を記入する自分は想像上の人物で現実味はないから、利用している人はどんな気持ちで、どんな時に記入しているのか不思議で仕方がない。多分、時間の使い方がうまく、字も綺麗で、目標を明確化できるスマートな思考のできる人。そんな人物像を思い浮かべている。そして、あの大量に並べた手帳コーナーに入っていく時は、あたかも自分もそういった人ですと姿勢を正して、「

気が付かなくなった頃

トイレをしながら床の溝にある砂埃を見る。 ホコリ。 それをゴミだから汚いと思う前、それはただの細かい粒だった。 公園の砂場にもあって、海の砂浜にもあって、ここにもある。そう思っていた頃は、これをかき集めるのが楽しかった。 テーブルの上にあるお菓子をひとつかみしてパソコンの前に戻る。 小袋に2枚入りのチョコチップクッキー。 ギザギザを開ける前に、ティッシュを一枚しいてから、ゆっくりあける。 クッキーを取り出すときも指で摘まむときもなるべくティッシュの上で済ませるのは、テーブル

買い物はひとりで行く?

わたしは買い物に時間がかかる。 優柔不断。わたしの中ではそんなことはないのだが、一緒に買い物に行った人からそう思われても仕方がないくらい悩む。仕方がないのだ。 わたしはメンドクサイ人間だから。 そんなわたしの買い物の心構えはこうだ。 あまり店員の能力を過信してはいけないし、能力はあるのかもしれないが気持ちが崇高だとは限らない。とりあえず、これは絶対。 この場合の崇高とは、本当に好きなものを売っているかだ。 こんな風に考える「優柔不断さん」は、わたしだけではないと思いたいけど

ヒヨコの子

ヒヨコが飛んでった。 なんだか最近は、珈琲も飲むし、朝は起こさなくても起きてくるしで、別の生き物になったみたいに思ったこともあった。 でもお風呂上がりは、いつもみたいにトコトコ歩いていくから、やっぱりヒヨコなんだなと安心した。 あなたが、空を見つけたのは知っていた。 そして、翼の動かし方を熱心に調べていたことも分かっていた。 わたしとしては、休み方を教えてあげたかったけど煙たがられちゃった。 結局は、自分で試さないといけないから仕方ないか。 好きなように飛びなさい。 あ

マス目のなかで過ごしてる

瞑った瞼の上に、揺れるまつ毛の影が見えた気がした。 いつも通りに眠い朝。 水を一口飲んでから、出かける準備をはじめる。 スマホとカギと。 一緒に、お気に入りの詩集をカバンに滑り込ませる。 なぜだか、朝に少し逆らった気がしてしまう。 それから、お気に入りのコートを羽織る。 コートの袖は、自由へ向かう扉。 コンコンと、扉をたたく。 今日も、自由にノックして入る。 休みの日なのに身体が覚えた時間に目が覚めるのはイヤだ。 自由に休日出勤しているような気がしてしまう。 自由が何