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2つの戸惑い〜ナオとの出逢い

サラリーマンの悲哀、受け入れざるを得ない上司からの業務命令は僕を戸惑わせ、悶々とした気持ちのまま赤坂へ戻った。

大迫不在の昼下がりの静かなオフィスで、一人淡々とパソコンに向かいながら、僕は肘を付き、考え込んでいた。

初めから、大迫のスパイが狙いだったのか…

東田が僕が始めている新事業に興味がない事は分かっていた。東田はある意味非常に正直な男で、以前から介護事業の報告をしていた時からどこか上の空な態度を隠そうとしなかったので、大した驚きや残念な気持ちは全くなかった。

大迫の仕事内容を盗み、報告する。それ自体はとても簡単なことだ。

ただ、要所要所で僕のことを締めてくる大迫に対し、どこか畏敬の念を感じ始めている中でスパイをするなんて、心が痛むような想いを抱いていた。

東田には報いなければいけない。

大迫の裏をかくわけにもいかない。

どちらの筋を通すべきなのか…

幸いなことに、介護事業では新店候補地の探索や人材探しなどが佳境を迎え始めていたため、そこからしばらくの間は大迫と顔を合わせることがあまりなかった。指令を受けてから本業報告も兼ねて週1回は東田に会っていたものの、大したネタもないことからその1ヶ月後には、「どうせ今日もネタはないんだよね?」と東田から話を切り上げにくるようになっていた。

11月頭の会談を終え、自分を引き上げてくれた東田に対して申し訳ないという気持ちも芽生えつつ、新年に向け自分のやるべきことをやろう、と気持ちを引き締め、世田谷の店舗へ足を向けた。

街ではクリスマス商戦が始まっていたが、そんなムードは何一つ仕事をしていると感じない。ただ、それも淋しいので介護スタッフの外国人は経験なクリスチャンなので、僕なりの気遣いで、事務所くらいは飾ろうと小さなツリーを置いてみたり、みんなが楽しく仕事できる環境を作ろうとしていた。

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一方の大迫はといえば相変わらず、全く季節感を感じることなく動き回っていた。

東田が知りたがっている大迫のビジネスは、まだ大迫のことを理解していない僕から見ても、どれが本業なのかわからないほど、複数に跨って展開していた。表向きの仕事として、ビジネス・コンサルタントとして中小からそれなりの大企業とも取引し、その傍らで不動産投資のコンサルタント、夜は夜で裏の仕事斡旋もしていた。

どれが本当の大迫の顔なのか、恐らく大迫も分からないだろう。共通しているのは、大迫が全てのビジネスに本気で勝ちに行っていること妥協は一切許さないということ

しかし、少なくとも東田が知りたがっているのはそんなことではなく、夜の仕事であることは話の流れでも明白だった。

それを伝えられるような、ノウハウの部分については実際僕が知り得る部分ではなかった。(そこにはあまり関わりたくないというのが本音だ)

ある週末の夕方、久しぶりに大迫から、急ぎ赤阪に来て欲しいと連絡が入った。大迫の手助けをするのは1ヶ月以上振りだった。それでも、呼ばれる時はやはり唐突・強引で、「今から来い」の姿勢は変わらずだった。

自分の仕事もちょうどキリ良く終わるタイミングだったので早々に世田谷の店舗を出、30分ちょっとで赤坂のオフィスに着くと、大迫と一人の女性がソファで向き合っていた。

コケティッシュな雰囲気の、肩まで伸ばした黒髪が綺麗なナオという娘だった。

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「タク、急に呼び出して悪いね。」

大迫がガラにもなく切り出すと、例によってお客さんへのエスコート依頼を僕に告げた。

「悪いんだが、今日はタイミング悪くダブルブッキングしていてね。優先順位を付けられないので、先に予約頂いた方に俺が行く。君はナオさんをお連れして欲しい。」

承知しましたー…そう応え、「タクです。よろしくお願いします」とナオと挨拶を交わした。

ナオは無言でペコリと頭を下げただけで、目を合わせることもなかった。

エスコート先の場所と相手の概要を聞くと、約束の18時に間に合うよう出発した。行きはタクシーで良いとの事で、赤坂から待ち合わせのレストランがある汐留へ向かった。

ナオは黒を基調にしたコーディネートで、背はさほど高くないものの落ち着いた雰囲気で、見た目のわりに大人びた風情を醸し出していた。

タクシーに乗ってからも、返事がめんどくさいのか話しかけてもただただ無言で、ツンツンした雰囲気を放っていた。その方が良ければ、と僕も敢えて声を掛けるのを止め、タクシーでは沈黙の時間が流れた。

待ち合わせ場所に到着したものの、時間までまだ15分程あったため、近くのベンチに掛けて待つことにした。ナオを座らせ、僕はナオの視界に入らない所に立ち、相手を待っていた。エスコートであるという本分と、いつ相手が来るか分からない状況で、自分も座るわけにはいかない。ただそう思っていただけだが、

「タクさんも座ったらどうですか?」

不意にナオが声を掛けた。

「あ、ごめん、かえって気を遣ってしまうかな。でも、そういう役割だから気にしないでね。」

僕がそう答えると、「暇だから喋りたいの」とナオは続けた。

さっきまでのずっと寡黙だった雰囲気と違い、ナオは明るい表情を見せてくれた。

「やっと笑顔見せてくれたね。話しかけない方がいいのかな、って思ってたよ。」と僕は正直に話した。ナオはニコッと笑いながら応えた。

「私、相手に合わせちゃう性格だから。タクさんは何か張りつめてる感じだし、大迫さんは何か怖いし、話せる感じじゃなかったもんね。」

ナオは屈託のない笑顔を見せ、ここ最近の緊張していた心をどこかほぐしてくれた。

やっぱりそういう空気出しちゃってるんだな、と思うのと同時に、人の心の機微を敏感に感じ取れる子なんだな、と妙に感心した。

「よく分かったね…ナオちゃんの言う通り、ちょっと色々考え方しててね。かえって気を遣わせちゃったみたいでごめん。」

僕はバツが悪くなり、頭を下げた。「気にしないで」というとナオは続けた。

「私だって人の事言えないし、他に自分の気持ちを話せる人なんかいないし。何か、タクさんには色々話せそう。」

罪のない笑顔と言葉を向けられ、僕は急に心が氷解したような気持ちを覚えたと同時に、またまた、戸惑いを感じたー。

続く

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