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心を切り離すスイッチ

久々に、働いている。
といっても、基本的には週一回、半日だけの勤務なのだけれど、(今週、来週は代打が続くので2−3回)朝起きて、決まった時間までにどこかに行くということがひさしぶりで、初日はそれだけでちょっとドキドキした。

いざ働きはじめてみれば、なんてことはない。
体と頭は勝手に動くもので、拍子抜けするほど呆気なく初日を終えた。
「先生くらいの経験があれば、自転車に乗るようなもんですね」
と言っていた主治医の言はまさにその通り。
元々、仕事が原因での体調不良・休職でなかったこともあり、頭の使い慣れた部分を久々に起こしてやる感覚は、ちょっと楽しくもあった。

でも、気づいたこともある。
めちゃくちゃ悪くはないけれど、あんまり良くない方向で。

わたしは「社会人」として問題なく過ごそうとするとき、「頭」と「心」のクラッチを切ってしまうところがある。
そのことを、明確に思い知らされた。

これは、わたしが大学時代から社会人生活にかけての時間で、徐々に身につけていった処世術でもある。
心の中はいつもドロドロと重たい憂鬱な澱でいっぱいで、そこに身を浸している自分は、少し身動きするだけでもものすごく消耗していた。
だけど、日々はわたしの心持ちなど関係なく、さくさくと小気味いいスピードで流れていく。
そこに追いつこうとするなら、重い荷物は置いていくしかない。
だからわたしは、自分の「重い気持ち」を頭と体から切り離して、目の前のタスクを淡々とこなしていく術を学んでいった。

心を脱ぎ捨てれば、体は軽くなった。
でもわたしの歩いた道の遥か後方に、心は置き去りになった。
やることなすことすべてが、自分の表面を上滑って、殻に閉ざされた心の中には、知らず積み重ねた「無理」の残骸が降り敷いていった。

そういうことを、そういうことをしていた自分を、久々の仕事で思い出したし、思い知らされた。
職場で挨拶をした瞬間から、わたしはスイッチを入れたように瞬間的に心を切り離して、いつでもニコニコと機嫌が良く頼れる「医師」の自分になった。
そうして、そのスイッチが入ったハイな自分のまま、次の精神分析を受けるまでの一週間近くを過ごした。

頭の中では、「あー、こういうモードに入っちゃうから、知らず無理をして後でどっと鬱になるんだよー」と思いながら、スイッチの切り方は中々わからず、結局そのまま走り続けてしまった。
そりゃそうだ。
だって働き始めてから今までの日々、わたしはほとんどスイッチを入れたままでやってきたのだもの。
「スイッチを切る」という、今までやってこなかったことが、急にできるようになる道理もない。

そんなわけで今のところは仕方なく、うっかりとスイッチを入れないように、ついつい心を置き去りにしないように、意識してMaxよりちょい低めのパフォーマンスを意識して働こうとしてみている(もちろん、やるべきことはちゃんとやってるよ)

心を置き去りにしないように。
しばらくは、これを心しながら過ごすことを、がんばってみようと思う。

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