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「ハリネズミのジレンマ」からすこしづつ脱却するお話。




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ハリネズミは、母に抱きついた。
母は笑って、抱きしめた。

でも、母の手はいつも血まみれだった。
ハリネズミのトゲがささっていたからだ。

それでも母は嫌な顔ひとつせずに。
ハリネズミを抱きしめ続けた。

母が傷つく姿が見ていられなくて。
いつからか母に抱きつくことがなくなった。

母に「おいで」と言われても。
ハリネズミは首を横に振り続けた。

母は悲しそうな顔が増えた。
母の手は、きれいになっていく。

ある日、母がいなくなった。
手紙だけ残して。

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こちらは漫画家/村松まつり先生著『ハリネズミのハリー』の冒頭を文字で紹介したものです。

なんだかシリアスチックに紹介しましたが、実際はもっとコミカルでポップに描いていて、クスリと笑いが漏れ出す作品です。50話まで無料。ぜひぜひ。



肩の力をゆるーく抜いたような4コマ漫画配信プラットフォーム『ツイ4』
独特の空気感をもつプラットフォームに一時期ドハマリしており、その作品の中の一つが『ハリネズミのハリー』でした。


ハートフルな見た目と裏腹に、扱っているテーマは孤独や愛。
どこか哲学的なお話を、優しいタッチで描いています。
一見するとナガノ先生の「ちいかわ」と似たような画風と印象を受けます。

わたしはちいかわも大好きですが、あちらが超大衆的な面白さだとすれば、ハリーはすごく内情的で、じんわりと心に染み渡るような作品


このお話は「ハリネズミ(ヤマアラシ)のジレンマ」という寓話がオリジナル。

諦観と厭世(ペシミズム)の哲学者、アルトゥール・ショーペンハウアー。
彼のエッセイの中で語られた一節に、この話が登場します。

やまあらしの一群が、冷たい冬のある日、おたがいの体温で凍えることをふせぐために、ぴったりくっつきあった。だが、まもなくおたがいに棘の痛いのが感じられて、また分かれた。温まる必要から、また寄りそうと、第二の禍がくりかえされるのだった。

『ショーペンハウアー全集 14 哲学小品集(Ⅴ)』
「第三一章 比喩、たとえ話、寓話」p306より


『新世紀エヴァンゲリヲン』のタイトルに引用されたことで、一般にも広く浸透したようです。

第4話のキャプション/Hedgehog's dilemma(”ハリネズミのジレンマ”の英訳)


私はエヴァ世代ではなかったのですが、「ハリネズミのジレンマ」と聞くと概要がスルッと頭に入ってきます。ホントに秀逸な例えです。


・・・

みなさんは、人との距離感について苦心した経験がありますか?

私はあります。毎日あります。現在進行系です。苦心しない日はありません。

人間は誰しも「目に見えないトゲ」を持っていて、そのトゲの長さは人によって千差万別。
見えやすかったり、見えづらかったり。極短い人もあれば、鋭く長い人もいる。

人間関係の構築が得意な方は、相手と自分のトゲの長さを上手に見極め、互いに適切な距離を保っているのだと、思ったのです。

たとえば
(距離感近いな…)と不快に思ったりしている時。
まさに相手のトゲが自分に刺さっちゃってる状態。

立場を逆にしてみると
(何もしていないのに避けられる…)といった具合。
どうして相手が傷ついているのか理解ができない。

このことをしっかり俯瞰して、ささらない範囲で上手に立ち回る。

トゲの長い短いの問題でなく、自分の間合いをしっかり認識できているか。
適度な距離感を保つためのポイントですね。



わたしはX(旧:ツイッター)で友人たちと交流することがあります。

しかし、どうにもうまくいかないことが多々ある。

フレンドリーに接した、と思ったらリプライがパッタリ途切れて
(何かよくない返し方をしてしまっただろうか…)
と、独り大反省大会がはじまったり。

(そろそろ切り上げ時かな…?)
と思って〆文を送っても、爆速で返信が届いて、あわてて返すのに気を取られてしまったり。

モニター越しの相手の姿をまったく見極められずに、ただただ混乱する日常が続いています。

このSNS全盛期時代、見えない相手との距離感の調整は、ますます困難なものになっている気がしますね。


「私自身にはどんなトゲが生えているんだろうか。
 誰かを傷つけていないだろうか。」

ってことも、気になって振り返ってみたり。


・トゲの長さ、硬さ、本数
(人を傷つける要素がどれだけあるだろうか)

・どの部位に集中しているか
(人を傷つけるトピックを話していないだろうか)

・刺さったらどれくらい痛いんだろうか
(どれだけ相手の事を考えているだろうか)

厄介なことに、このトゲはとても自認しにくいもの。
自分に生えているトゲをひとつひとつ丁寧に紐解いていくことは、大変泥臭く辛抱の必要な作業ですが、そうしてやっと「己を知る」ことができる。

距離感の調整をするための第一歩ですね。


・・・


つい最近、わたしも自分のトゲを実感できた瞬間があります。

次の記事をリライトした時のこと。

こちらは3週間前に書いた自分自身のnoteなのですが、

ふと読み返してみたところ、、、

まぁひどかった。。。


現在はリライト済みのため、ちょっぴりまともな内容になっていますが
正直なところ読むに耐えない状態でした。

何を言いたいのかわからないし、
最初と最後で言いたいことぶれちゃってるし、
やけに攻撃的だし、
誰向けの記事なんじゃこれ・・・。って感じでした。

言葉の節々に存在する「トゲ」が、書いた私自身でさえ読む気力を奪ってくる。

「わかるやつだけ、わかればいい」

そんな傲慢な考えが、ふよふよと残留している。

いうなれば、私の思考から離れた「大量のトゲ」が突き刺さったまま、そこを通りがかる読み手様をマキビシのように傷つけてしまう、そんな地獄が広がっていました。

「尖っている」、と表現したら聞こえはいいかもしれませんが、もっと根本的な問題です。決して世にだしていい文章ではありません。オソロシイ。


もしも自分の思考内にまともな編集社があったら、ライティングを担当した人の目の前で「こんな失礼な記事を世に出せるか!」と言い渡すでしょう。それくらい、もう、自分自身が許せないくらい、ひどいもので・・・(絶句)・・・・穴があったら入りたい。


そんなこともあってか、最近自分の創作物を見直して積極的なリライトに努めています。

これは自分に生えていた「トゲ」をピンセットで一つづつ抜き取っていく、そんな作業に近いことなのかもしれません。

そうしてトゲを抜いていくと、本来伝えたかった純粋な気持ちであったり、核となる部分があらわになっていくんです。


弱さを取り扱った先程のテーマを深掘りしていったところ、
「ありのままの弱さを受け入れられる環境を、個人の裁量に任せるだけではなく、社会全体で注目して創っていくコトの重要性を伝えたい。」
という本心にたどり着きました。

善意から始まったはずの訴えかけが、いつの間にか変容し、単なるバッシングや皮肉めいたモノ言いになってしまう。

「トゲ」は油断すると簡単に生じるものです。
注意深く自己観察を続けなければ、自他ともに認めるトゲトゲ人間になってしまう。

デトックスついでに、たまに自分のトゲを抜いてあげなきゃね。

大変かもしれないけど、ちょっとづつ『ハリネズミのジレンマ』から脱却していきましょう、ってお話でした。


それに、この地道な作業、なにも辟易することばかりじゃありません。

読み返して気づいたのですが、自分自身のライティング能力が明らかに向上しているんです。
これが大きくて、個人的に一番嬉しかった。

特に実感できたことは下記の2つ。

・俯瞰力(視点を引き、全体のまとまりを見る)
・注意力(本筋から離れたセンテンスや、不要な表現を省略する)

たった3週間程度でも自分の成長が実感できているのですから、この先記事を書き続けたらどうなってしまうのか。。。

おそろしくモチベーションがあがりますねコレ。リライティング楽しい!!!


さて、私をこんな気持ちにさせてくれたハリー君には、今一度感謝をしたいところです。
よかったらみなさんも是非是非🐈





最後に、元も子もない話なんですが、、、

ヤマアラシって自分でトゲを畳んだりできるようで、お互い傷つけ合うことはないのだとか。。。


ま、まぁ教訓には多少の尾ひれがつくものですし、こっそり美談で終わらせておきましょ。。。!

あ、みなさんもトゲをコントロールできるように、な、なろう~~~!!

終わり。



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ここまで読んで頂き、ありがとうございます✨

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