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苦しみの送料1980円

このタイトルは完全に思いつきだ。

そもそも、苦しみの『総量』とタイピングしようとしたらアマゾン用にチューニングされた予測変換によって『送料』にかえられてしまったのがコトの発端。しかし面白いのでこのまま書き出そうと、なにやら意味深なタイトルに相成ったわけで。

私はほとんどひきこもりです。

外に出ることは稀で、食料を買い込んだり、親友と出掛けたり、なぞの痛みや発作に苦しみ急遽救急車で搬送されるくらいでしか出ません。

なぜか。

社会が怖いからです。いや、ひいては人間が怖いからです。


小学生時代、孤立しがちな人間でした。運動神経は壊滅的。勉強もできない。外で遊ぶ活発さもない。人とのしゃべり方が分からない。しかし通信簿には耳障りのいい言葉だけ連ねられ「わたしはこれでいいんだ!」と謎の肯定感を与えられながらスクスクと育っていきました。

今思えばふざけるなです。

すべては親を納得させるためのおべっかでした。親の片割れである父は中学で自殺し、一方の母は愛しの彼ピとラブラブちゅっちゅしてました。私に気を使って家では大胆なことはしませんでしたけど。偏差値も何もいらないバカみたいな専門学校(専門ですらない。私の通ったクラスについては汎用学校とでも名乗ればよい)を卒業すると、無事に再婚。

おめでとうと言葉をかけつつもわたしに待っていたのは、自殺した父方の祖父母の介護生活でした。しかも火の車状態の自営業つき。

新卒で入社した会社も漏れなくブラックでした。ただ、人間関係は希薄だったのでそれだけは救いだったかもしれない。単純な勤務時間が終わってたのと、業務内容の虚無さに耐えればなんてことはないお仕事でした。

でも結局、三足の草鞋(ブラック、首の回らない自営業、介護生活)に耐えれず、うつ病を発症。

社会に対して不安は無視できないレベルで私の体の中に巣くっちゃったけど。


ババッと書いたけど、一旦話を戻します。


小学校時代、どこのヒエラルキーに馴染めず、しかし馴染めないけど通信簿には聞こえのいいことばかりだったので特に疑問を抱かずに過ごしてきました。そう。私は疑問を持つことがすくない子供だった。大人しくジッとしておけば、大人目線からみて手間のかからない子供であることがすなわち通信簿の「5」だった気がする。

いや、そこまで打算的だった自覚はない。自覚はないけど、本能的に大人しく振舞わないと生きていけない、錯覚やら警戒アラートが常に鳴り響いていたのかもしれない。今となっては分からない。なんたって当時の感情が思い出せない。

noteを始めとしたたくさんのエッセイや私小説には多くの「過去」が登場し、そのころの恐怖や悲しみが鮮明に刻まれている。

だけど私の大半は「乖離」でできている。

だから当時の感情の再現性がまるでない。

小学校時代にどんな過ごし方をしたのか。私の過去の話なはずなのにまるでトレースできない。

悲しかったのか。
楽しかったのか。
怒っていたのか。
悲しんでいたのか。

それがわからない。
なぜなら乖離してしまっているから、もう自分のものじゃない。
時系列として記録は残っていれど、まるでスタッフロールを傍目から見るくらい他人行儀なモノで、興味もない。

じゃあ谷のない順風満帆で退屈な学生生活だったのかと聞かれればそうじゃない。

中学から専門までフルコースでイジメられている。イジメの対象になった。

私が中学の頃、たしか1年7組の出身だったけれど、1組か2組あたりの全員からイジメの対象にされていた。10人くらいで廊下を歩く私を拉致られた。主にトイレと、よくある個室の上でバケツドーンである。

「これくらいのイジリは耐えられるようにならないとね?☆」

みたいなこと主犯格が言ってったっけ…?いやどうでもいいか。そこらへんの傷は私の中に残っていれども、前述した通りスッカリ乖離している。当時の感情が沸き立たないし、どこまでも他人事に思える。事実、他人ごとに思えるほど乖離しているから「私はなんとか生きている」。

特によくなかったのは、無駄に負けん気が強かったことかもしれない。

よく考えない子供だったと説明をしたが、頭の中で考えることが苦手だっただけで考えること自体は好きだった。だから常にアウトプットの場を必要としていたんだけど、私の場合、家庭環境は終わってたし友達はいねーし発散できる文才も持ってねぇ、と三重苦だった。よって選んだ方法が「独り言」だった。独り言をつぶやきながら情報整理するのが私の常とう手段だった。

自分の状況が不服であることを口からダダ漏らしていた。これがさらなるイジメのきっかけになるのに時間はかからなかったけど。

「独り言人間」が私の蔑称だった、っていってもこれは想像だけどね。実際裏でなんて言われていたかなんて事実はどこにも残っていない。

私を5人くらいで囲んで「独り言の真似事合戦」を繰り広げ、心を折りにくるのだけれど、実際多分効果的だったと思う。わたしの「考えられる」はずだった時間は文字通り「乖離」された。

猫暮は、記憶力に問題がある。

健忘癖がひどく、特に固有名詞に関してはなかなか定着しない。歴史や社会といった科目は苦手を越えて無だった。苦手という意識も湧かないほど理解できない。覚えてられない。今となっては興味を覚えるようになったが、わたしのワーキングメモリが全然仕事をしないから、興味を持つキッカケすら当時はなかった。

なにより、覚えるメリットみたいなものを考えていたと思う。一言でいえば成績の為か。

「いじめられていることを教師や親に悟られることなく無事に学校生活を送りとどける」という謎のミッションが多分自分の中に課せられていたのかもしれない。

赤点ギリギリ、というか、ぶっちゃけ乖離が進みすぎてどうして卒業できたのかよく覚えていない。

本当に何も覚えていない。

思い出さないよう、現在進行形で私の防衛機制が働いているのだろう。たまに考えるのだが、痛烈な過去をバネにして前に進める人と、バネも何も記憶の彼方に奪われてしまった私では、どちらが不幸なのだろうかとも思う。

私からすると、隣の芝は青い状態なのだ。

「だって、あなたには記憶があるじゃないか」って。
「だって、あなたには考えられる時間があったじゃないか」って。

考える時間があったことを、誇ってほしいと思う。
少なくとも、私が成人するまでの間に、考える時間は等しく奪われてきた。他人からも奪われたし、自分の「乖離性」にもさんざん葬られてきた。

多分、私の過去は比較的凄絶ではある。もちろん、誰かの過去と比べるもんじゃないことは重々承知している。誰もが等しく苦しんでいる。それは理解している。

「上京した友人がホテルで刺されてレイプされた」

「モラハラ彼氏に真冬の空の下、薄着で10時間走らされた」

「身体障碍者の弟から鉄鍋を顔面に投げられて頬骨が陥没した」

「酒の席で親友と喧嘩した。仲裁に入ろうとした妻に酒瓶があたり、帰らぬ人となった」

「国籍が違うだけでイジメの対象に。有名大学なのにさ、程度の低さに笑っちゃったよ」

「親の墓参りの季節になると決まって訪れる元カレ。毎回刺したくなる」

「私のせいであの人は死んでしまった。謝ろうとあの人のお母さんに会いに行ったら絞首自殺の第一発見者になってしまった」

「10年来のバイク仲間で目の前で横転して肉塊になった」

「あと一日で退院。翌日ベッドサイドの手すりに巻き付いていたあかすりと、動かなくなった患者。警察と共にきた旦那と、2~3歳の子供。」


わたしも、社会不適合なりに話を聞いてきた。

私の過去なんて遠くかすむ人生がそこらに普通に転がっていて、でも気にすることなく生きている。

いや、気にしてもしょうがないから先に進めるのだろうか。ともすれば気にしない能力は必要だと思う。フラッシュバックを繰り返せば、それこそ閉鎖病棟の保護室で気持ちを静めるほかなくなる。制御の聞かない体をクッションと鍵付きの仰々しい扉の奥でジッとさせるしかない。

私は、「乖離」によって平穏無事に生きている、フリをしている。

でも、外は恐いし、人間は相変わらずコワイ。

そんな人間の一人である自分自身もコワイ。

自分の遺伝子が怖いと語る人もたくさんいる。私もまったくもって同感。私の遺伝子には「自殺した父」と「癇癪持ちの祖父母たち(そろいもそろって)」と「人当たりのいい母」と「いじめられた過去」と「怒りを乖離させた自我」がしっかりとインプットされている。

ごちゃまぜカオス状態。こんな状態の人間が人に平穏を訴えれるほど、まともにスクスク育つと思うのだろうか。

んなわけないだろう。

衝動や暴動を内側に粛々とためこみながら日々ごまかしながら生きているんだ。


人間が怖いし、基本的に好きじゃない。この基本思想はどこからくるんだろうとかたまに考える。考えた結果「私は人に期待しすぎている」という結論にたどり着く。

だから最近はコペルニクスってる。「人は生来的に冷たいんだよ」と性悪説をあえて過信している。これはバランスをとるためであって事実ではない。私が「期待しすぎない」ために人に対するハードルを極端なまでに下げている。代わりに失われれる社交性を尻目に、今日も資本主義の競争社会に組み込まれながらドロドロと生きている。

「詰み」も近いな、と思って生きている。ああ、ひもになりたい。だれかに養われたいな。いや、やっぱりやだな。人間怖いな。ベーシックインカムはまだか。もしくは合法的な自殺あるいは安楽死はこないものか、と日々願ってやまない。

自分の人生を高らかに語れるならそれはどんなに恵まれたことか。

私目線でいえば皆恵まれている。

障がい者がひどい仕打ちを受けたエピソードを聞いて、胸がぎゅっと閉まる想いがする。彼ら彼女らが与えてしまった被害も、与えられた被害も、等しく世の中にはある。障がい者が誰かを著しく傷つけたエピソードも、よく耳にする。悲しいし、不条理だけど、どうしようもなく泣き寝入りするしなかい物語は当たり前に転がっている。

しかし一方で健常者にボコボコにされた猫暮もいる。

もちろん、すべてはグラデーション。障がい者と健常者に明確な境界線は、厳密にはない。いろんな要素を加味しながら総合的な判断を下すほかない。

ただ、どちらにせよ「人が怖い」という事実はまったくもって変わらない。はぁ。なんで人を信じようとするとアム〇ェイやらマルチやら新興宗教やらが多く呼び起こされるんだろうか。小学生以来の親友がア〇ウェイの案件を持ってきた時は、ついに目からハイライトが消えた。といっても、親友だった彼のとの思い出も『乖離』してるから何も覚えていないのだけれど。

おかしいな。
小学校4年間毎日同じ道を通ったはずなのに、その親友との会話の内容は何一つ覚えていない。覚えてるのは苗字くらい。エピソードはたくさんあったはずなのに、全部記憶の坩堝に封じ込められている。



さて、今日はくらぁーーーーーーい話題ばかりをザクザクと発掘している。
いうならば「苦しみ」をお届けしている。

競争社会や今後のことを考えればこんな文章は公開しないほうがいい。さもなきゃ後悔。お前の航海。あえなく更改。

へんなラップはどうでもいい。おいておこう。大事なのは月々1980円の光ネット回線費用を払うことでこれらが提供できてしまう事実。

月額払って苦しみをバババっと払っている。なんじゃこら。どうゆう状況だ。そう思うとみんなも同じなのだ。媒体はスマートフォンでもなんでもいいけど、一様にテクノロジーを利用して苦しみを解き放っている。パフォーマンスはいいかもしれない。

カウンセリングだったら1時間5000円とかかかる可能性もあるし、マッチングアプリで自分の過去を全暴露しても受け止めてくれるヘルメスとか女神とか出会うならもっともっと費用がかかる。交際費とか、交通費とか。あと見栄をはるためのスポーツカーとか。

でも、インターネットな孤独の海でゆらゆらと揺蕩うなら審査も何もいらない光回線契約の紙切れが、私を解き放ってくれるらしい。これでいいのか。これでいいのだ。

とりあえずババっと書ききったけど、ここまでで触れているのは私の小学校~中学校編くらいまでだと思う。まだまだ私の苦悩と乖離されたはずの記憶集は一杯あるし、書こうと思ったら無限に書ける。

だけど、その大半は捏造されたものになってしまう。
そもそも過去に事実はない、ってどっかの偉い人が言ってた。

私たちは脚色して過去を作る。感情をはじめとしたいろんなノイズを付随させて、過去を形作るのだという。『乖離』が進行している私の過去は、それこそレトリックな装飾でガチガチに覆われていて、本体なんて塊の奥深くで眠ってしまっている。

呼び起こすもなにも、乖離して、フッ、消えた。カイザーソゼ!

ともあれ、乖離させた記憶を取り戻そうと躍起になるつもりもない。
この日記のような戯言は、あれです。

「ゼロ秒思考」の一貫です。

今朝買いました!ゼロ秒で!

書籍のコメント欄にね「この本のレビューを調べるのにあなたは数秒使いました。本当に欲しいと思ったならゼロ秒で決断してください」ってめちゃめちゃウィットの聞いた怪文が残されていてね。もう心を射止められました。ハッ、と思ってポチってカートへ。そういえば余り散らかしていたamazonギフト券の存在を思い出し余裕のゼロ円に。時間もお金もゼロ。Kindleなのでカロリーもゼロ。

今朝半分くらい読み進めながら実践していたので、明日の朝には後半も読み切っちゃおうかなって。実践しながら読み進めるっていいね。へんに「過去」を捏造せずに試せるから。

今後もこういった散文を残すかもしれないけれど、それでいい。まずね。猫暮は猫暮なのです。つまり、私自身の本名じゃない。私が作り出した仮初の姿である。顔も声も明かしていない。

ここは実験の場。生きることすべてが実験。楽しんで悲しんで苦しんで生きていこう。今日もそんなコンテンツを月額1980円でお届けしております。

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