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愚痴を吐きまくることによって生まれちゃったナゾの老荘思想。

前回プンスカピーな感じで愚痴を綴りに綴っていた猫暮。

10,000文字にも及ぶ恨みつらみをババっと仕上げた自分に驚きつつも、不思議と自分でも笑い飛ばせる文章に昇華できたな、と一人満足しています。

と、ここで自分の中にある変化が産まれたことに気付きます。

それは、なんだかんだこの悪口の対象であったはずのCクンを、心のどこかで許しつつあるんです。ある意味で老荘思想に目覚めた猫暮である。

よく、人から恨みを受けた時に「デスノートを書くのはやめよう」って啓発を耳にします。いわゆる「恨みつらみ帳」ですね。

受けた恨みをはらさでおくべきかじゃないですけど、「○○さんからこうされた。許さない」「■■さんからこうされた。許さない」みたいに、個人の正義感や価値観の元に断罪する目的をもった日記ですね。

漫画原作の独善的な思想を元ネタにした表現。オリジナルは山田玲司さんがYoutubeで語っていたシーンから抜粋。

このデスノートを書くことで「恨みが蓄積してしまう」って考え方が一定数あります。なのでいつまでも妄執に取りつかれてしまって、自分の人嫌いが加速していくんじゃないだろうかって懸念です。だからそういったものがあるなら直ぐにでも捨てよう!みたいなね。

確かにうなずける部分はありますが、ちょっと猫暮は違うんじゃないかなぁと。

多分なんですけど、「書くこと自体」は問題なくて「読み返してしまう」ことが問題なんだと感じます。猫暮が最近実践しているゼロ秒思考には、実は老荘思想とまったく真逆のことが記述されています。

「うらみつらみを隠すことなく、すべて紙に書きだす」


ただ、基本的に読み返しません。書きっぱなしジャーマンスープレックスです。ついでに書いた紙は誰の目にも触れることはありませんから、門外不出になります。

…まぁ、猫暮はブログという媒体に遺してしまったので、ちょっとデジタルタトゥー化してる部分もありますが、それはよいのです。悪い子だと自覚を持ったまま強行したことですし、それに数字も持たない猫暮になんの影響力もないでしょう、って感じの楽観もあります。

うむ、楽観を心に蓄えねば、書けるものも書けなくなるのよモノカキストは。ひどい露悪主義である。


さてさて、思想やバイアスって、同じ類の情報、もしくは自信を正当化できるような記号を摂取し続けることによって強化されていきます。

たとえば嫌な思いをして、心にどうしようもないモヤが発生したとする。
この時、最もよい対象法とはなんだろう。

多分なんですけど「完全無欠な見て見ぬフリ」が最高の対処法だとは思っています。これ以上はない。唯我独尊。

だだし!不可能という点に目をつぶればよぉ~~!

『ジョジョの奇妙な冒険』4部より。この時ばかりは仗助と同じ気持ちの猫暮。

自分の本当にやりたいことに着目して時間やリソースを集中する。そのためのよしなしごとの大半は自分の目的を妨げるためのノイズになり得ます。

なので情報を遮断したり、心を動かさないってアプロ―チが有効、、、なのは分かるんですが、人間神様じゃないので一日二日でどうにかなるものじゃあありません。

だからこそ、一旦は心の棚卸です。

  • 恨み!

  • 悲しみ!

  • 憎しみ!

  • 不条理な出来事への憤り

  • 許せない!

  • 辛い!

これらの感情は確かに存在します。

「いや、それは人間が頭の中で作り出した妄執だから初めからそんなものはないよ」と思想哲学を噛ませるのも一つの手ですが、たぶんそれが自然に受け入れて実践出来るのは元々サイコパス適性が高い人物です。

そちらの素質を持っているのであれば自己追及や利益を計算式にくわえるだけで理想的な振る舞いが実現できるでしょう。

でも、ナイーヴな内面性を持つ一般人には至難の業。
だから不器用に泥臭く、書き出すんです。
アウトプット。とにかくカタチに遺す。なんでもよいのでカタチにする。

実際、私は前回の記事で実体化に成功しました。
・・・いやnoteの内容はそもそもデータの塊じゃん!みたいなお話は一旦脇に置いといて、私の怒りや悲しみはものの見事に創作できてしまったんです。
創作って、タネがなければうまれません。であれば、私の感情のうねりのような漠然としたものって、実際の「動き」として猫暮の頭の中に存在したってことになります。

でもって、このうねりは一過性のものじゃあありません。感情的に無視できないうねりはずっと存続しています。たぶん、意識的にシャットダウンしたつもりでも、無意識の領域で侵され続けます。確実に少しづつ、思考の一端が壊死していく。感覚がなくとも、実際にパフォーマンスががた落ちしていく。そいで、一体どうしちゃった自分は?と、謎のメンタル不調に苛まれる日々を送ってしまったり…。

なら、意識に出しちゃった方がよくない??
ってのが、私のつなげたい結論。
ゼロ秒思考は猫暮のような凡人の思考パターンの大いなる味方な気がするんです。

じゃあ書き出した内容がどういった変遷をもたらすか。

  • 自身の怒りや悲しみを客観視できる

  • 自身が大事にしている価値観が何かに着目できる

  • スッキリする

  • 自身の美学が磨かれる

  • 本当の意味で気にしなくなる

ここらへんの効能が確実にあるなぁと思ったわけです。

実際、前回の記事の中で私がさんざんこき下ろした「Cクン」に関してなんですが、今は特に思うところがありません。そういう生き物なんだなぁとか、思考パターンが結構単純なんだなぁ、ってくらいの感想。ある意味観察対象の一つでしかなかったわけです。

まぁ最終的には「かわいそうだな」って結論に落ち着きました。

で、落ち着いたら、もうイジリようがないことに気付きます。そう、ちゃんと着地して、すっかり落ち着いたちゃったんです。そしたら後は自分の好きなことに目いっぱいリソースを割けます。

たとえるなら、苦しみをローンで払うか、一括で払うか、みたいな違いかも?

意識的に頑張って無視する!って、ローン払いです。でもこちらは正直、年利とか月利とか掛かりますし、感情がうまく安定しない時期にはリポ払いに頼る可能性があります。感情の言葉に変えれば「我慢」とか「辛抱」です。

ゼロ秒思考で実践する「ぜんぶ吐き出しきってしまう」は、一括払いです。
書き出している瞬間はまったく他のことに手がつかなくなりますが、その分手数料もかからず返済できます。空いた時間は悠々自適に過ごせる。「楽しい!」「ハッピー!」

このどちらを選択したほうがより良いのか。
正直なところ猫暮は断然「一括払い」をオススメします。

もちろん人それぞれって言葉に尊重の姿勢は向けますから断定はしません。でもでも、感情のローン払いっていうなれば「無の実践」です。なにもせずに耐えるだけなのですから。それでは実感が得づらいですし、つまるところは根性論に落ち着いてしまう。カタチに遺さないままでいると自分の方向性を見失うことにもなりますし、確実な指標が一つあるだけでも安定感が違うだろうと猫暮は思うのです。…おい、ゼロ秒思考の宣伝しすぎだぞ猫暮!


仮に「一括払い」を行ったあとは、その後の支払いが気にならなくなります。だって手に入っちゃったんですから。

この「気にならなくなる」って、ある意味で許してるとも言い換えれます。

だって怒りも執着も手放してフリーになっているのです。それ以上嫌いようもないですし、そもそも元より嫌ってもいません。ただ事実として「私にはこんな怒りが渦巻いていた」ってことと「怒りの前にあの人がいたんだ」って状況があっただけです。これ以上の客観視はないよ!


この発想って、老荘思想に似てるのかもしれないなって唐突に思いました。老荘思想に詳しくない猫暮だけど、きっとその道に通ずるものがあるなって。

大原則として

「人は変えられないけど、自分は変えられる」
「許せないものより、許せるものを増やそう」
「勝ちも負けも、気にしない」

こんな考え方を元にできるなら、ゼロ秒思考でなくともメソッドはなんだっていいと思うのです。思考法は世の中に腐るほどあります。好きなものをチョイスして、自分の苦しみを和らげたり悲しみを減らしたりしていけばよいんです。

なんならいいとこドリップもしちゃいましょう。いろんな思考からちょっとづつ拝借する。実践を重ねていけばちょっとづつでも物事は変わっていくはず。

なんかなぁ。。猫暮がコレ言っちゃうと自分の人生の半分を否定することになっちゃうからあんまり言いたくないんだけど、、、

「行動しないって、悪なのかも…」

って結論にたどり着いちゃいそうなのです…。いや、絶対そんなことはないんだけどね。

静観や何もしないことが重要な場面は漫然としてあるはず。なんというか、細かい行動も広義的に含めて全部行動と読み替えてほしいかも。

ご飯を食べた時「おいしいな」と口に出すのも行動だし、ちょっと思考したことをメモの端っこにサラサラって書くのも行動。
お風呂で独り言をもらすのも行動だし、とにかく「無」でなければ全部行動に含めていいのだと猫暮は思います。

もちろん、ボーっとするのだって立派な行動です。ボーっとする時間は人間が一番脳みそを回している瞬間なんだよ、っておっしゃる方もいます。

ただ、脳みそを乾燥機みたいにぐるぐるまわすにしても、なかに金具とか家の鍵とか入ってたらノイズになっちゃう。内側のドラム金属にあたるたびにカンコンカンコン響きまくるあの感じ。猫暮はよくポケットから家の鍵を抜き忘れてやらかします。

そんな状態では充実するはずのシンキングタイムだって阻害されてしまいます。だから、ある意味で猫暮はボーっとするためにありとあらゆる雑念を書き出して思考を限りなくニュートラルに近づける。

するとやりたいことに意欲も湧くし、集中もできる。たぶん、情報過多な現代においてこのアプローチって非常に強力なんじゃないかな~と思っています。基本インプットしすぎて脳内カオス状態なので、ちょっとでもOSを整理しといてやるのです。

それだけで大分違います!
ビバ!思考フリーダム!


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