第3回オモイカネ杯振り返り&自作部分解説
オモイカネ杯にでました
はーい、ラテン語たんです。
今日も元気にらてらてしてます。
先日はクイズ大会「オモイカネ杯」、第3回に出場していました。
以下、公式サイトより引用。
バーチャルな存在によるバーチャルな存在のための「本気」のクイズ大会
難問を避け誤答を笑う世間の風に反旗を翻し
選りすぐりの難問とそれに挑む精鋭たちの優れた知識に拍手を送る
正統派のクイズ大会
バーチャル世界の「知」の頂点を決める祭典
それがオモイカネ杯!
https://twitter.com/omoi0kane/status/1396113599878242308
知識つよつよな皆さまが集われる、本気の負かし合いです。
1分の制限時間を悩み抜き、1問の正答に救われ1問の誤答に掬われる。
分からなければ本気で悔しがり、
読みが当たれば快哉を叫び、
考え抜かれた良問は讃え合う。
私、第2回では優勝しましたが今回は惜しくも2位。
ものすごく熱い戦いでした。
各問題の振り返りは皆様におねがいするとして。
本戦の問題は各人が1問ずつ持ち寄るのです(主催サイドだけで20問作るとどうしても分野が偏るのもあるようで)。というわけで…
ラテン語たんはどんな問題を出したのか
はい、私の問題(正答率7%:正解者一名のみ)でーす!
え?ラテン語ですよ。私、"ラテン語たん"ですからね!
実際には音声もつきましたからそんなに難しくないはずです!
…ですよね?
まずは問題の全文訳
Caput nātiōnis, sed nōn urbs maxima,
国の首都であるが、最大の都市ではない
condita procul a mare.
海から遠くに築かれた(都市である)。
In saeculō vīgintī, duae maximae urbēs,
20世紀に、2つの最も大きな都市が
post cōnflīctum prō statū capitis nātiōnis,
首都の座をめぐる諍いのあとに
comprōmīsērunt.
妥協した
Et sic cōnstrūctum est illud caput inter duās urbēs.
こうして2つの都市の間に首都が建設されたのだ
と、こういう文章でしたので答えは「キャンベラ」です。
オーストラリアの首都は計画都市。
二大都市であったメルボルンとシドニーが「うちが首都やる!」と争った結果、中間ぐらいの地点に新首都を建設することになったのです。
細かい解説① 語順のこと
全体としては「かなり読みやすく」作ってあります。
ラテン語はその難解な変化形の代償として語順の自由度がかなり高く、以下のような文さえ可能です。
Carnem lupo urbani semper homines dant
肉を-狼に-都市の-常に-人々は-与える
「都市の人々は常に狼に肉を与える」
「都市の人々」なのにこの2要素が隣り合ってないとかザラです。
とはいえ詩歌などで韻を重視する場合や、文のどこかをとりわけ強調するのでなければ、一応標準的な語順はあります。
ただ動詞が最後だったりして”英語に慣れてると読みにくい”というのはあります。
Homines urbani lupo carnem semper dant.
人々は-都市の-狼に-肉を-常に-与える
「都市の人々は常に狼に肉を与える」(標準的な語順)
標準的なのはこちら。それでも英語に慣れてると読みにくい…のかな…
細かい解説② 語彙のこと
そしてラテン語は「ヨーロッパの母なる言語」みたいな扱いを受けがちなことからもわかるように、「辿り得る」言語です。
英語にとっては直系の親でこそないのですが(直接の末裔はイタリア語やフランス語などです)、宗教・学術・法律などの用語を中心に大量の借用語があり、加えて直系子孫の一方の雄・フランス語話者の支配を受けた時期がある関係で、
「高等語彙ほどラテン語のにおいがする」
という事態になっています。
例えば――
英語本来 vs ラテン語発・フランス語由来
big 「大きい」 / gigantic 「膨大な」
give up「諦める」 / surrender 「断念する」
answer 「答える」/ response 「応答する」
hebavior「行い」 / action「行動」
ちょうど日本語の「和語と漢語」のように、「英語本来の語彙」と「ラテン語発・フランス語経由」の語彙とが折り重なっています(だから英語は覚えるのが倍たいへんです)。
加えて、日本語の和語/漢語と同様に「使うべき場面が違う」ことが多くあります。子供と遊ぶときに gigantic 「膨大な」って言いませんし、逆に科学論文だったら big とは言いません。論文で「おっきな細胞が…」って書いたら直されます。「巨大な細胞」とかでしょう、せめて。
これらのラテン語に端を発する語彙は、歴史上「高度な語彙」「学術的な語彙」にこそ用いられてきました。
なので、小難しい文章になればなるほど、ラテン語が分かると読みやすかったりします。言語を問わず。
・英語
The distinction between definition and contradiction is comprehensible.
「定義と矛盾の差異は理解可能だ」
他の言語も見てみましょう。
・イタリア語
La distinzione tra definizione e contraddizione è comprensibile.
・カスティーリャ語(スペイン語)
La distinción entre definición y contradicción es comprensible.
・フランス語
La distinction entre définition et contradiction est compréhensible.
・ポルトガル語
A distinção entre definição e contradição é compreensível.
・ルーマニア語
Distincția dintre definiție și contradicție este de înțeles.
・カタルーニャ語
La distinció entre definició i contradicció és comprensible.
ラテン語を学んでいると、この辺の小難しい内容のイタリア語が「あー差異ね、はいはい、定義ね」と、なーんとなく分かってしまいがちです。
でも「トイレはそこを出て右だよ」とか「りんご3つで1ユーロだよ」みたいなのはさっぱり分からないわけです。
「中国語話者が日本語の漢字部分だけ何となく理解できる」のに似てます。
1行目
この辺を踏まえて、出題するラテン語文は
・英語を学んだことのある人にとって直感的に分かりやすい語順
・英語にも関連語彙のある、類推しやすい語彙
・単純で読み取りやすい構文
を心掛けました。
Caput nātiōnis, sed nōn urbs maxima,
国の首都であるが、最大の都市ではない
condita procul a mare.
海から遠くに築かれた(都市である)。
caput は元々の意味は「頭」。生き物の頭のほかに「頭のように突き出した形のもの」「組織の頭」「主要なもの」「大切なもの」も意味しえます。
よく知る語彙なら cape「岬」、chief「チーフ、代表」、chef「(料理人の)長」あたりに受け継がれています。capital は 「主要な都市、首都」ですね。
nationis は変化前なら natio です。御覧の通り nation のラテンのすがたです。-n がつく理由は非常に面白いのですが割愛します。
sedは「しかし」。あんまり後代に継承されてない単語な気がします。
non は「~しない」。イタリア語なんかだとそのまんまですね。
urbsは問題文でヒントとして出しましたが「都市」。
urban, urbane の由来です。suburbの後半部分でもありますよ。
maxima 、形容する対象の urbsが女性名詞なので-a ですが辞書にのってるのは maximus です。「もっとも大きい」。
この文は est 「~だ」を省略しています。わりと平気で省略されます。
後半、condita は conditus「築かれし」の女性形。urbsは女性名詞ですからね。
procul は「遠くに」。副詞です。
mare は 「海」。英語の marine, maritimeとか、フランス語の mer、イタリア語なら同じ綴りで mare 、スペインでは mar でしたかね。ドイツ語にも Meer とか エストニア語の meri とかありますね。直接「海」要素としてはmermaid「マーメイド(海の乙女)」, merlion「マーライオン」 などにも使われてますね!
Caput nātiōnis, sed nōn urbs maxima,
首都-国の しかし-ない-都市-最大の
「国の首都であるが、最大の都市ではない」
condita procul a mare.
築かれし-遠く-~から-海
「海から遠くに築かれた(都市である)」
ここは「読めた」という声も多いようです。urbsは問題文ですでに提示してありましたから「首都」「最大ではない」が読めて「最大都市でない首都…どこだろう」ってなった方も多そう。
2行目
In saeculō vīgintī, duae maximae urbēs,
20世紀に、2つの最も大きな都市が
in は前置詞。英語の in と似た意味でも使いますしそうでないときもあります。ここでは時を示して「~に」です。
saeculum は「世代、世紀」。ざっくり観念的に「~の年代、時代」ということもありますが、ここでは「世紀」。in のあとなので-oです。
XX(viginti)は「20」。不変化です。イタリア語だと venti ですね、スタバで耳にする語彙です。20オンス入りの容器だからですね。フランス語ならvingt。
duae 「2つの」。意味上当然ですが複数形しかありません。男性形なら duo.
maximae urbes 意味としては先に述べた通りですが複数形なので語尾が違いますね。「最大の都市(たち)が」。
In saeculō vīgintī, duae maximae urbēs,
~に-世紀-20 2つの-最大の-都市が
「20世紀に、2つの最も大きな都市が」
ローマ数字のXX(20)が出てきたことで「20世紀」と読めた方もいそうですね!
duae「2つの」もピンと来たかた、いるのでは?ただしここだけ読めると「2つの都市が合併した首都」=ブダペストやベルリンといった誤答もみられがちでした。
3,4行目
post cōnflīctum prō statū capitis nātiōnis,
首都の座をめぐる諍いのあとに
comprōmīsērunt.
妥協した
postは「~のあとに」、前置詞です。ポスト誰それとか、ポストモダンとかのポストですね。
conflictusは英語の conflictと同じで「衝突、軋轢、諍い」。postのあとにくるので-um になってます。
proも前置詞で「~のための」。
status は 「立場、状態、ステータス」。proのあとなので -u です。
英語でも日本語でも「ステータス」はありますね。sto「立つ」が元です。
capitis nationis 各要素は前掲の通りですが「国の首都の(立場)」と属格(所有格)形になっていますので語尾は変わってきます。
compromiserunt は compromitto 「妥協する、和解する」の完了形です。
英語の compromise とかなり形が近いですよね?読めた方もいたのでは?
post cōnflīctum prō statū capitis nātiōnis, comprōmīsērunt.
後に-諍い ~の為-立場-首都の-国の (彼らは)妥協した
「首都の座をめぐる諍いのあとに、妥協した」
conflictum, pro statu capitis あたりが読めたらうれしい!compromiseは…時間かけて精読すればいけるんですかね?1分で読めた方は少ないようでした。
最終行
Et sic cōnstrūctum est illud caput inter duās urbēs.
こうして2つの都市の間に首都が建設されたのだ。
et は「そして」。フランス語はスペルそのままで et (エと読む)、イタリア語だとスペルも e になってます(楽譜とかで見たことありますかね)、スペインだと y ですかね。
学術的な場では et al. とか聞くでしょうし(唯一の正解者・さいこさんはこれに言及してましたね)、et cetera (その他)の et でもあります。
あ、算術記号の 「+」の由来でもあるんですよ!
sic 「このようにして」。英語で「原文ママ」のことを sic. と書きますね。
sicutという語彙も宗教歌曲などでよく耳にします。
constructum est「建設された」。英語の is constructed に概ねあたります。
structureの struct- ですよー。
illud 「この」、中性形です。ille とか illa とか性で形が変わります。
ここでは caputが中性名詞なので illud。
inter 「~の間に」。international、intercontinental、interdescipline などの inter です。この語彙が読めたかが勝敗のキーになってるケースがありそう。
Et sic cōnstrūctum est illud caput inter duās urbēs.
で-こうして-築かれた-この-首都-の間に-2つの-都市
「こうして2つの都市の間に首都が建設されたのだ」
総括
どうでしょう皆さま、読めましたか?
noteで文章を書くのも楽しいなーと思うのでまた何かやろうと思います。
いま考えてるのは19世紀のハーバード大学の入試問題とか!
…いえ、分かっておりますよ?
これが比類なきエグめの問題という評価であったことも!
「読めるかー!」という声も!ラスト付近に配置された事実も!
これが普通のクイズ大会なら「ひどい問題を出すひと」にしかならないでしょうけど、一番上に書いたとおりこれが出されたのはオモイカネ杯です。
知的好奇心がVのガワ着て活動してるような方々の群れです。
なればこそ、「ここをこう考えれば読めた」「なるほどなあ」「良問だー」と、あとから問題に好意的な評価をいただいているのです。
(主催のカネさんからも「個人的なベスト問題です」とお褒めを戴いたりしちゃってうれしい)
https://twitter.com/omoi0kane/status/1396345517328592900
この大会の出題、参加者の持ち寄り分にせよ主催サイドからの問題にせよ、「単純な知識問題がほとんどない」のが素敵なところです。
「知っていれば即答、さもなくば回答不可」というのがあまりない。
「知らなくても論理的考察で答えに肉薄できる」
「基礎知識をもとに応用を求められる」
「分野横断的な知識があると答えに迫ることができる」
こんなタイプの問題が続出するのは、ひとえにこの集まりの人々が
「単純な知識問題では彼らを相手にするには不十分」と信じているからです。
本気で挑みかかるのは、相手も本気だと分かっているから。
真剣を研ぎ澄ますのは、真剣でなくては斬れない相手と知っているから。
最良の一手を打てるのは、相手も最善の手を打ってくると知っているから。
知を誇ることが、ともすれば「マウント」「自慢」「衒学趣味」と捉えられてしまいさえする寂しいこの世界――それでもなお、やはりいくらかは愛さずにいられないこの世界で――相手の限りない叡智を信じ、全身全霊で没頭する"戦い"。あの数時間、何物にも代えがたいのです。
Cogitavisti ergo stas.
考えしゆえ、汝ここに立つ。
――オモイカネ杯優勝者への賞状の賛辞、没案
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