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始まりの「ユー・アー・マイ・サンシャイン」の始まりから ヴァン・モリソン「アクセンチュエイト・ザ・ポジティヴ」第3回

連載の全体については以下の記事をご覧になっていただければと思います。
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 ヴァン・モリソン「アクセンチュエイト・ザ・ポジティヴ」を読んでいただくに際して


1曲目は「ユー・アー・マイ・サンシャイン」

 アルバムの1曲目は「ユー・アー・マイ・サンシャイン(You Are My Sunshine)」である。

 この曲はカントリー音楽の世界で生まれた曲だ。

 私が知っていた1990年代初めまでのヴァン・モリソンの音楽については、カントリーロックの要素はあっても(1972年作「テュペロ・ハニー(Tupelo Honey)」に顕著である)、
「テュペロ・ハニー」より

もろにカントリー音楽※6(当今の言い方にすると、ガチなカントリー音楽、ガチ中華ならぬガチカントリー)の要素はないと言えた。

 なので浦島太郎の私はこの選曲に少し意外な印象を持ったのだ。


Reverb(残響追加部)※6
 ここで私がこの言い方で示そうとしているカントリー音楽とは1950年代から1970年代くらいまでのそれ、と言えるかもしれない。
 現代ではカントリー音楽の世界からテイラー・スウィフトみたいな人が登場しているわけなので、もろにカントリー音楽と言っても言わんとすることが通じにくいのではと思う。
 1980年代から1990年代にかけて時々、考えたのは今の時代(当時)のカントリーの音楽家は、1970年代であればカントリーロックの音楽家としてロック界の存在だったかもしれないなということだった。
 実際、カントリーロックのバンドだったニティ・グリティ・ダート・バンド(Nitty Gritty Dirt Band)なんかは1980年代以降はカントリー界所属という印象があった(一昨年ボブ・ディラン曲集を発表したけれど)。
 シンガーのエミルー・ハリス(Emmylou Harris)なども、そういった風に思えた。
 これは音楽家自体は変わってなくても、音楽界のあり方が時代の流れの中で変化していて、その結果、音楽家の居場所が動いたように見えたということかもしれない。
 ともかく1970年代頃までは、ロックとカントリー音楽の世界は、まったく別世界だった。
 ザ・バーズ(The Byrds)の1968年のアルバム「ロデオの恋人(Sweet Heart Of The Rodeo)」が話題になったのは、その世界が成立したばかりのロックと、すでにポピュラー音楽の一画として数十年の歴史を刻んでいたカントリーの世界を隔てる距離が遠かったからである。ロカビリーという接点があることも、まだ明確にはなっていなかったと言えるだろう。


 しかし、今回、やっと私が知った事実として、ヴァンの2006年のアルバム「ペイ・ザ・デヴィル(Pay The Devil)」には何曲ものカントリー音楽の楽曲が含まれていることがある。

 あるいは2002年のアルバム「ダウン・ザ・ロード(Down The Road)」の収録曲は、1曲除いてすべてヴァンが作者だが、「ホワット・メイクス・アイリッシュ・ハート・ビート(What Makes Irish Heart Beat)」という曲が典型的で、曲調、歌唱、バックのサウンドそれぞれにカントリー音楽の要素を備えた曲がある。

 2008年のアルバム「キープ・イット・シンプル(Keep It Simple)」収録の曲「ソング・オブ・ホーム(Song Of Home)」も同様である。

 そうしたことからすれば、ヴァン・モリソンが「ユー・アー・マイ・サンシャイン」を歌っているからといって今では不思議なことはないわけだ。

 となったところで、「ユー・アー・マイ・サンシャイン」に関する事実を少し記したい。

 Wikipedia日本語版と英語版それぞれに「ユー・アー・マイ・サンシャイン」の項目があるので、そこでの記述に沿って書いていきたい。

 「ユー・アー・マイ・サンシャイン」が初めて録音され、発売されたのは1939年※7のことである。


Reverb(残響追加部)※7
 この年、ヨーロッパではナチス政権下のドイツの軍隊がポーランドに侵攻し、第2次世界大戦へと戦火がひろがってしまう戦いが始まり、さらに2年後、1941年にはハワイの真珠湾の米軍基地を日本軍が攻撃することになる。


【以下、Overdub(追加音響部)1[コラム]が、かなり長くて4900字ほどありますが、その後に本文が続いています。そこへは冒頭の目次から飛べます。】


Overdub(追加音響部)1 「ユー・アー・マイ・サンシャイン」録音史の最初期

 「ユー・アー・マイ・サンシャイン」の録音の最初期の音源をいくつか挙げておきたい。
 最初に発表されたこの曲の録音である1939年のザ・パイン・リッジ・ボーイズ(The PineRidege Boys)のものと、それと同じ年、その次に発表されたれ たライス・ブラザーズ・ギャング(Rice Brothers Gang)のもの、そして翌年に発表されたふたつの録音で、ジミー・デイヴィス(Jimmie Davis)、ウィルフ・カーター(Wilf Carter)それぞれによるものである。
 当然どれもSPレコードで発売されたものだが、カップリングの曲についても簡単に触れ、音源を聞いていただけるものは聞けるようにすることにした。
 本筋と直接の関係はないのだから、そこまでしなくてもとなろうが、SPレコードの曲のカップリングというのは中々おもしろくて注意を払う価値があるのである。
 最初の2組はジョージア州の出身。
 ライス・ブラザーズ・ギャングの方は出演するラジオ局があるルイジアナ州シュリヴポートに活動拠点を移したそうである。
 そして現在この曲の著作権者※①のひとりであるジミー・デイヴィスはルイジアナ州出身。
Overdub(追加音響部)内Reverb(残響追加部)※①
 ジミー・デイヴィスのことを作者とはせずに著作権者とするのは、曲の権利を他の音楽家から買いとったようであるからなのだ。 このあたりのことは書きだすと長くなってしまうのでWikipediaの記述をご参照いただければと思う。

ウィルフ・カーターの出身地からザ・バンドのことが思い浮かぶ

 そしてウィルフ・カーターはモンタナ・スリムという名で音楽活動をすることもあったというが、出身はモンタナ州でなくカナダのノヴァスコシア(Nova Scotia)州。
 と聞けば、ひと足先に「ユー・アー・マイ・サンシャイン」を録音したジミー・デイヴィスがルイジアナ出身だったことや、同じ曲を歌ったライス・ブラザーズ・ギャングはジョージア出身だったがルイジアナで活動したことなどと考え合わせて、頭をよぎるものがある方もいらっしゃるのでないだろうか。 
 つまり、カナダ出身の音楽家がルイジアナ州にゆかりがある曲を歌っているわけで、頭に浮かんでくるのはカナダのオンタリオ州出身の4人とアメリカ南部アーカンソー州出身の音楽家による5人組、ヴァン・モリソンとは深い関わりがあるザ・バンド(The Band)のことである。
 ウィルフ・カーターの出身地ノヴァスコシア州は、その地がイギリス領になってからの地名で、それ以前のフランス領だった時代にはアカディアといった。
 それがイギリス領になって、その地を追われたフランス系の住民が流浪の運命をたどった末に住みついたのがルイジアナの湿地帯である。
 結局その人たちは(アカディアの人々という意味の)アケイディアンが訛ったケイジャンという呼称で呼ばれることになった。
Overdub(追加音響部)内Reverb(残響追加部)※②
 ケイジャンという語を私が最初に憶えたのはアメリカ音楽の一分野を言い表す言葉としてで、そのことはケイジャンの人たち、ケイジャン・ピープルについて、ごくごく簡単にであれその歴史的背景を認識すること、ケイジャンとはそもそもその人たちのことを意味する語であるのを知ることと直結していた。
 その人たちが育んだ音楽がルイジアナ独自の音楽文化として成立しているのを知ったというわけである。
 今から50年ほど前、音楽ファンであるという意識を持って間もない頃のことだった。 
 だが、その後、そこからまったく知識、理解が深まってないのは、ただもう、お恥ずかしい限りだが、とりあえずWikipediaの英語版の記述でものぞいてみることくらいは今からでもすることにしたい。

 だからウィルフ・カーターの出身地はルイジアナと深い縁があることにもなる。
 そして、このアケイディア出身の人たちの歴史はザ・バンドの音楽の中で大きなテーマになったことのひとつだった。
 ウィルフ・カーターによる「ユー・アー・マイ・サンシャイン」の録音は、なんとも微妙な形で重なり合う事実が、ザ・バンドの存在と、その音楽の先触れのようなことになっているのである。

ザ・パイン・リッジ・ボーイズThe Pine Ridege Boys)ユー・アー・マイ・サンシャイン / ファーザー・アロング(You Are My Sunshine / Farther Along)

Discogsこのレコードのページ
 最初の録音のザ・パイン・リッジ・ボーイズの「ユー・アー・マイ・サンシャイン」は、アコースティックギターの伴奏で歌やコーラスを聞かせるものである。 カントリー音楽の初期のきわめて大きな存在であるジミー・ロジャーズ(Jimmie Rodgers)やカーター・ファミリー(The Carter Family)と共通するあり方を聞くことができる。

 その「ユー・アー・マイ・サンシャイン」がA面で、B面の「ファーザー・アロング (Farther Along)」はサザン・ゴスペル※➂
Overdub(追加音響部)内Reverb(残響追加部)※➂
Wikipedia英語版に項目が
ある。

という分野の曲。つまりキリスト教の信仰についての歌である。
 キリスト教の信仰とは無縁な私だが、すごく好きな曲で、またポピュラー音楽の世界での録音はとても多く、カントリー音楽史のきわめて大きな存在であるハンク・ウィリアムズが録音しているし、ソウル/ゴスペル歌手のサム・クックも(ゴスペルのグループ、ソウル・スターラーズ在籍時に)歌って録音していて、エルヴィス・プレスリーも録音。 前出のザ・バーズは1971年のアルバムのタイトル曲として録音している。
 1980年代にはドリー・パートン(Dolly Parton)、リンダ・ロンシュタット(Linda Ronstadt)、そしてやはりすでに名前をだしたエミルー・ハリスの3人によるアルバムにも収められていた。
 一昨年発表されたメイヴィス・ステイプルズ(Mavis Staples)とリヴォン・ヘルム(Levon Helmウィルフ・カーターに関する記述の中でグループ名をだしたザ・バンドのドラマーでアメリカ南部出身だった)のアルバム「キャリー・ミー・ホーム(Carry Me Home)」で、メイヴィスが歌っていたのを思いだす方もいらっしゃるのでないだろうか。


ライス・ブラザーズ・ギャング(Rice Brothers' Gang)ユー・アー・マイ・サンシャイン / ラヴライト・イン・ザ・スターライトYou Are My Sunshine / Lovelight In The Starlight)

Discogsこのレコードのページ
 続くライス・ブラザーズ・ギャングのものは、共に音が遠いのだが、アコースティックギターと、そうとう達者なハーモニカに加えて、これもかなり快調な演奏を聞かせる、アンプを通ったスティールギターの音が、こちらは前面に出る録音で収められている。歌はソロで全編歌い、コーラスはない。
 この録音はスティールギターの活躍でずいぶんとポップな感覚の音楽に聞こえる。ウェスタン・スウィング(カントリー・スウィングという言い方もするようだが)と呼ばれる音楽に含めても良いかもしれない。

 これも「ユー・アー・マイ・サンシャイン」がA面なのだがB面は、この時代のカントリー歌手としては謎の選曲と私には思えた。
 前年に映画女優のドロシー・ラムーア(Dorothy Lamour)の録音が発売された曲である。作曲はユダヤ系だったのでナチス政権下のドイツを逃れてアメリカにやってきたフレデリック・ホゥランダー(Frederick Hollanderとアメリカでは名のったが、元の名はFriedrich Hollaenderといったという)で、カナダ出身の作詞家ラルフ・フリード(Ralph Freed)とこの曲を作った。カントリー音楽ともアメリカ南部とも関わりが深いわけではない。
 と情報にだけあたって思いはしたものの、実際の音が聞けない。しかし、ドロシー・ラムーアの録音は聞ける。それを聞いて納得できたのだが、この曲はカントリー調というイメージで作られた曲で、ある種のエキゾチック音楽なのだ。これはエキゾティシズムの対象である本物の南部のカントリーの音楽家が、そういう曲を歌っているというタイプの出来事なのだと私は判断した。
 ライス・ブラザーズ・ギャングのレコードのB面が聞けないのは残念だが、ドロシー・ラムーアの音源を載せておく。
 なお、ドロシー・ラムーアはルイジアナ州ニューオーリンズ出身だったのだそう。これも興味深い事実である。
ドロシー・ラムーア(Dorothy Lamour)
ラブライト・イン・ザ・スターライト(Lovelight In The Starnlight)


ジミー・デイヴィス・ウィズ・チャールズ・ミチェル・オーケストラ(Jimmie Davis With Charles Mitchell's Orchestra)ユー・アー・マイ・サンシャイン / オールド・タイマー(You Are My Sunshine / Old Timer)

Discogsのこのレコードのページ
 そして翌1940年に出たのがジミー・デイヴィスのレコード。
 彼のものが3番目だったのか、間に他の録音があったのかは私は把握していないが、ともかくこの1940年から現在にいたるまで、曲の著作権者のひとりなので、その人物による録音となれば、やはり格別なものということになる。
 このデイヴィスの録音の伴奏は、ギターとスティールギターはカントリー音楽的な演奏。そこにクラリネットやトランペットなど管楽器が加わってジャズ系の(スウィングジャズというより同時代に1920年代のニューオーリンズジャズがリヴァイヴァルしていたことを思いださせるようなタイプの)演奏を聞かせる。

 最初の間奏でソロを弾くスティールギターも見事だが、2回目の間奏でソロを吹くクラリネットの演奏がまた鮮やか。
 伴奏はデイヴィスと共に曲の著作権者であるチャールズ・ミチェルの楽団で、この楽団はテキサスのウェスタン・スウィングの楽団だったようだ。
 良い演奏だったのでこのチャールズ・ミチェル楽団の録音を1曲聞こう。
Charles Mitchell & His Orchestra
Mean Mama Blues

 ウェスタン・スウィングのことなんて、ヴァンがカントリー音楽の要素を自身の音楽にとりいれているからといっても、ここでこだわる必要はないと考えられもする。だが、ウェスタン・スウィングはこのアルバムの、いわば遠景として確固とした存在であり、見落とせないのだ。このことは、アルバムの後半に確定するので、今は辛抱しておつきあいいただければと思う次第である。
 で、このデイヴィスのレコードもA面が「ユー・アー・マイ・サンシャイン」で、B面はジミー・デイヴィスと作曲家のウィル・ヒーグニィ(Will Heagney)との共作曲。こちらの曲はいいメロディだと思うが、歌詞に表れる、この時代の、いわば西部劇的歴史観は現代では受け入れられないだろう。
オールド・タイマーOld Timer


ウィルフ・カーター(Wilf Carter)ホワット・ア・ワンダフル・マザー・オヴ・マイン / ユー・アー・マイ・サンシャイン(What A Wonderful Mother Of Mine / You Are My Sunshine)

Discogsのこのレコードのページ
 最後に挙げたウィルフ・カーターの録音は、やはり1940年。
 このレコードでは「ユー・アー・マイ・サンシャイン」はB面で、A面は「ホワット・ア・ワンダフル・マザー・オブ・マイン(What A Wonderful Mother Of Mine)」というウィルフ・カーターの自作曲。
 B面に収められたここでの主題「ユー・アー・マイ・サンシャイン」は、ウィルフ・カーターが自身で弾いていると思われるギターの伴奏で歌い、それに鳥の声を模した音の笛が加わるのが特徴的で、さらにハーモニカも加わる。

 一方、A面の自作曲は曲名から想像できるような甘く感傷的な曲である。故郷の母親への思いを歌っていて、甘口の曲が嫌いでない私は良い曲だなと思う。鳥の声を模した音の笛はこの曲でも大活躍している。


Overdub(追加音響部)1前の本文からの続き


 この歌の歌詞は多くの歌曲と同様に、題名になっている語句が曲のリフレインの印象的な一節で、その部分の歌詞、メロディ共に音楽ファンの枠を越えて多くの人にとってなじみがあるものだろう。

 そのリフレインから感じられる印象は軽快で調子がよいというものではないだろうか。いかにもアメリカ的と感じられるかもしれない。
 この点、音源を挙げた4つの録音の中ではジミー・デイヴィスのものが、その感じにピッタリ当てはまるのではないかと思う。

「ユー・アー・マイ・サンシャイン」で歌われていること

 そして歌われているのは、恋人が自らにとっては、人間の生存にとって不可欠な存在である太陽と同等なのだということ。その例え方の豪快さの印象も、いかにもアメリカ人らしいと感じられるところである。

 ただ、歌全体としては、恋人に去られた体験、つまり太陽にも等しい存在を失った体験が歌われている。

 軽快で調子がよい感じが表面にはあっても、裏側には悲哀の念が貼りついていて、うっすらとその悲哀が表面に滲んでくる歌なのだ。

 そんな「ユー・アー・マイ・サンシャイン」が世にでて、ヴァン・モリソンの録音にいたるまで80年以上に及ぶ時が経ったわけである。その間にこの曲はきわめて有名になり、カントリー音楽の枠を越え、あるいはポピュラー音楽の枠をさえ越えていると受けとれるようになっていき、アメリカ国外でも広く知られる曲になっていく。当然、その間に積み重ねられた数多くの事実がある。

「ユー・アー・マイ・サンシャイン」録音史の積み重ねの中から

 Overdub(追加音響部)1で挙げた録音以降も何人ものカントリー歌手が録音している(ジョニー・キャッシュも録音している)。
 そしてフランク・シナトラより少し上の世代で、ポピュラー・ヴォーカルの大物中の大物であるビング・クロスビーの録音もある。※8


Reverb(残響追加部)※8
 ビング・クロスビーが録音している曲をヴァン・モリソンが歌うということでは、ヴァンがザ・バンドの解散公演「ラスト・ワルツ」で歌った「アイルランドの子守唄」[Tura Lura Lural(That’s An Irish Lullaby)]が思いだされるわけだが。


 そして1977年にルイジアナ州歌のひとつになっている。

 そういった事実の中から、ここでまず紹介したいのは、すでにその名を第2回で挙げた音楽家のレイ・チャールズによる1962年に発表された録音である。

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