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何のために漫画を描くのか?

「何のために漫画を描くのか?」

そんなことが、先週の漫画専科同期の定例会で、ちょっとだけ話題に上がった。

そして今日、コルクの佐渡島さんのこのnoteを読んで、そのときの何とも言えない気持ちが蘇ってきた。

すごくすてきな記事だったので、時間があれば、ぜひ読んでほしいなあ。


かつて、私がライターとして仕事をもらっていたとき、私が文章を書く動機は、「好きな人に喜んでもらいたい」というものだった。

親に喜んでもらいたい一心の子ども時代から、何も変わってなくて笑えるけれど、ここでいう「好きな人」というのはイコール読者のこと。未熟な私は結局、好きな人のためにしかがんばることができず、そして、私の好きな読者とは、「いたいけな人」だったのだと思う。

具体的には、医療者と子育て世代の人たちの向けの記事を多く書いてきた。それは、「ケアの世界」にいる人たちに向けた文章だ。

なぜ、ケアの世界に居る人たちのために書きたかったのかは、よくわからない。けれど、きっと、こうした人たちって、置かれた環境の中で見えているものを言語化するのが、けっこう難しいのかもしれないな、などと思っていた(思い込みかもしれないけど)。人の生や死に関わっていくなんて、きっと、すごく複雑な感情を抱えることになるだろうと思ったから。

それならば、少しでも自分がその道の専門家の人たちの言葉を代弁したり、ロールモデルの発信などを行えればいいのでは、という気持ちがあった。

じゃあ、今はどうだろう?

最近、私は何か読者の顔が見えない発信をしているなあ、と思うことがよくある。「子育ての地図」という創作漫画を描いていた頃(今も描いてる)は、違ったのだけど。



とりわけ、1カ月前からブログを始め、毎日投稿をし始めたことで、日々、数字ばかりに追われている。

そんな中、上記の佐渡島さんの記事の中に

身体的な変化が明らかな10代や、所得がわかりやすく伸びていく20代や30代なら、成長を追い求めていいかもしれない。でも、40代や50代を超えてから追い求めるべきは「成長」ではなく「成熟」ではないだろうか。成長するために学ぶのではなく、成熟するために学ぶ。

コルク佐渡島の思考noteより




とあって、穴があれば入りたいほど、恥ずかしい気持ちになった。

今年で42歳、昔よりも成熟できてないやん、わい……。ここから成長路線に舵切るんかい。若者と同じ土台でやっていくんかい、である。


私は若い頃、少しだけ絵を嗜んでいたときには、絵を描く理由について、「熟練したアーティストにしか見えていない世界を、私も見てみたいから」と話していた。それを思うと、あの頃のほうがむしろ、ずっと純粋で大人だったんじゃないか、と思えてくる。

私は、自分の中で、創作漫画と毎日投稿の漫画を、作品とコンテンツに完全に切り分けて考えているような気がしている。

その2つを分けることが、正しいのか何なのかはよくわからない。でも、両者がうまく作用したときに、よりよい漫画が描けるようになるかもなあ、みたいな気持ちが、漠然とある。

やってみないとわからんよね……。

てなことで、明確な答えは出てないんだけども、ひとまず今日も、漫画を描く。最後まで読んでいただいた方、何の結論にもありつけずにすみません。

また、「こんな感じかも!」みたいなのわかったら、書き綴ろうかな、と思っています。最後までお読みいただき、本当にありがとうございます!




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