【随筆】気位

世間では、「あいつプライド高いよな。」なんて、陰口を叩かれるようなシチュエーションでばかり使われるような気がいたしますが。プライド、つまり、気位。どうお感じになりますか。

私は気位は高い方が良いと思っています。

そして、それがおごり高ぶることに繋がるような愚かしいこととは思っておりませんし、むしろ自分が大事に思っている周りの人間を守る術の一つだと思っているのです。

私にとってそれは大事な要素であります。




話は変わりますが、私は人というものは差別をしてしまうものなのだと思っています。
なぜなら、基本的に”してはいけない”とわざわざ明文化され言われていることだからです。明文化し禁じないと、どうしても人間思いついてしまうものなのでしょう。
そして人間良い方に差別をされたら悦に浸る余裕がありましょうが、悪い方に差別されたら気分も悪くなりましょう。そうでしょうそうでしょう。

しかし、非常に差別を受けやすいコミュニティに属す人間というのがどの世界にも確実に存在します。それに該当しない差別を受けにくい人間が、それに該当する相手と付き合いを持つ場合、個人としてどんなに気の合う良い相手でも、世間で言うとばっちりを食らうのは、その該当しない側の人間です。

可能性のお話をします。該当しない人間は、その該当する相手と付き合うことによって、過去築いた信頼を失うかも知れません。また、該当する相手との反対乃至反対に準ずるコミュニティに存在する気が合うかも知れない人間とは一生接することができなくなるかも知れません。

大袈裟でしょうか、いえ、そんなことはありません。実際そうでしょう。
「泣いた赤鬼」という昔話をご存知の方も多いと思います。ここでは内容を詳しく書きませんが(各自お調べを)、幼い頃から私の好きな話です。泣けます。そしていささか極端ではありますが、そういうことなのです。



それでも該当しない人間が該当する人間との付き合いを消し去りたくない、これからも付き合いを続けたいと強く思うなら、それが本人たちにとっての正解であり人間関係の尊いところだと私は思います。

そして、先に書いたことから、私は人との関係には愛だけでなく、敬意や自信、そして何か喪失を伴う可能性まで含んだ、様々な覚悟をもたねばならないと考えます。

覚悟をもたぬままなあなあの人付き合いを続けることも可不可で言えばそれは誰しもできるでしょう。しかし、そういうことをあまり続けていると、それはその相手とつるむことによってどちらかのコミュニティ外に中途半端に晒し、晒され、傷つけ、傷つき、恨みを買い買われ・・・・・・といったところが関の山でしょうか。関係はいずれ決裂してしまでしょう。それは感情的にも悲しいことですし、損益で考えてもそれは限りなく無益に終わってしまうのではないでしょうか。





閑話休題。
私は最初にも書いたとおり気位が高いです。もうお分かり頂けたかと思うのですが、理由としては、私自身が差別を受けやすいコミュニティに属す、該当する人間であるためなのです。謂わばマイノリティの側である方として、必要以上の自虐、自己卑下をしない、質素な立ち居振る舞いであることを大事にしていたいのです。粋であれば尚格好は良いですが、そこまではなかなか難しいですね。

そういう気位を高く保つことが、人間関係を大事にすることそのものにつながっていると私は思うのです。

プライドの高いオンナ、いかがです?

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