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死を覚悟した話(先月)

先月「死ぬかも……」と感じた。
6月のできごとだ。
東京の田舎と呼ばれる某所へ遊びに行った。

某所

田舎というより山間の集落の体をしているその土地を散歩していると、神社を示す看板を発見。

延々と歩いてお参りに行った。

途中から、コンクリートがなくなり、山道になった。
そして山道がなくなり、獣道になった。


「ツキノワグマが出ます 注意!」と立て札が立っている。
足場も険しめの石ころ道に変わった。

引き返した方が絶対に良かったが、なぜか進んだ。

わたしは明らかに引き返すべきところで抗ってしまう。
好奇心が急き立てるのと、ここまで費やした時間がもったいないという貧乏根性から。
採算の取れない算盤を弾いてしまう。

お散歩というより、ロッククライミングの体をなしてきたところで神社に到着。

神社の参道と階段は崖崩れでなくなっていた。

仕方なく社の側面に回り込み、ヤギでも歩きそうな崖沿いの道を、石を足がけにしながらクライミングしてたどり着いた。

神様に「無事に帰れますように」と祈願……しかし、帰れない。

登った崖を降りられなくなってしまった。
神社の周囲は切り立った崖が囲んでいて、10メートルくらいの高さがある。

たまにバラエティ番組で「こんな崖の途中に祠が……!」みたいなオドロキ立地の神社が特集されている、まさにあの感じだ。
(しかも、こちらの神社は崖の上にある)。

「40%くらいの確率で死ぬかも」と崖を見下ろしながら思った。

落ちたら死ぬ。
運よく一命をとりとめるかも知れないが、骨などを折り動けなくなる確率の高さだ。

下宿先の人にも行き場所を告げていないし、もちろん携帯の電波も入らないので、落ちたら最後誰にも見つけられずじわじわと死ぬ形になるだろうと思った。

なので、ちょっと死を覚悟した。

お昼過ぎだったが、雨が降りそうな気配だった。

雲行きもヤバイ

ひとまず社の裏の下に小さなスペースがあるのを見つけて、落ちても崖から落下しないことに感謝しながら降り立った。

そのスペースは、戦死した人を慰霊する碑が立っていて、神社とあまり関係なくポツンと立っているところが形而上的な不穏に拍車をかけた。

とにかく、山頂より一段下にきた。

そのスペースも崖に囲まれていたが、こちらの崖は傾斜が緩やかだったので、死亡率は20%〜25%くらいだろうと見積もった。

一見崖だらけに思えたが、裏参道が獣道化しつつ残っており、その場所も横幅60センチくらいしかない崖っぷちの道だったが、なんとか下った。

その後、こちらも三分の一くらい崩壊しつつある階段も発見。
良かった。帰れる気がする。

残りの懸念点はツキノワグマ。
つい最近も目撃談があったようだ。
恐々としながら音楽を流して下山した。

傾斜80度くらいの階段を降りきったところに看板が立っていて、
「山岳修行のために作られた階段です。体力に自信のあるものは挑戦されたし」
みたいなことが書いてあった。

挑戦するどころか上からおりてきた。

死ぬかも、と思ったのは久しぶりで、その感情は、帰り道ないかも、という取り返しのつかなさとセットだった。

芥川龍之介の「トロッコ」という小説を思い出した。

「トロッコ」は、好奇心旺盛な少年が大人と一緒にトロッコをどこまでも押していってしまい、大人たちは現地で宿泊、長い道のりを泣きながら引き返す、という話。

あの少年も「なんでこんなところまで来たんだ俺は……」みたいな取り返しのつかなさを感じたに違いない。

子供の頃は、山や川などの自然の中で遊んでいたが、死を覚悟したことはあまりない。
子供は死なないと思っていたからかもしれない。

大人になってわかったことは、自然は容赦しない。
交通事故と同じで簡単に死ぬ。

わたしの家の近くの川では毎年のように溺死体があがった。
子供の頃は、なんとも思っていなかったが、かなり身近なところで自然に殺された人たちがいたことを思い出した。

ちなみに、戦争の慰霊碑はなぜあの場所に立っているのか、ググっても分からなかった。
有識者がわざわざあの山に趣き、周辺を探索した記事が出てきたが、「慰霊碑は分からん」と書いてあった。

他の人の「死ぬかも」エピソードを聞いてみたい。そして、どうやって切り抜けたのかも。

良かったらコメント欄で教えてほしい。

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