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おそらく反抗期 終盤

今日はなぜか友だちと電話で話していて
泣きました
不穏なものではなく なんで泣いたのか謎ながら たぶん わがままも心のままに
言ったから。切る時には笑ってましたが

ここ三年くらいか こころの暴れ馬、
たぶん 母に再会したことで 収集がつかなくなってしまった
あいたかった。同じように思っていてほしかった 愛していてほしくて 悪いと思っていて欲しくて わたしの願いはことごとく裏切られては 怒りや憎しみがどうしようもなく生まれるだけだった 
裏切りとは わたしの願いと違うこと

カウンセリングに通い始めるも
いつか、いつかと 消えてくれない憎悪やさみしさは 生々しく存在し続けて

折り合いがつくだとか 成長するだとか
思っては
自分を放棄したくなったり

いつになったら 途方に暮れるようなものは

周りの老い 当たり前の寿命 
長い間うまくいかなかったけど 守らなきゃ

守らなきゃなんて 大それたものではないですが そう感じることに守られていること、
来年 再来年が平和な世なのか
そんな状況が 逆に ずいぶんと心を簡潔にしていました。

母はいつかまでは育ててくれた
その いつかまで、と同じくらいの年月が
過ぎた
母にとって あの家庭で子育てをしていたのは
とっくに ひとつ昔のこと。
今や未来は 旦那さんととっくに歩んできてること
正直 好きじゃないですw
互いに 知らないこれからを生きればいい。

これくらい いつからか、簡単に
わたしも やっと進めてなかった時間に
気付いたような感覚です。

ただ 精神状態がひどい時の人間と
共にする 家族はどんなに大変か
綺麗事では どうにもならないくらいに疲弊して
投げ出したくなるようなものだろう、
それだけは 思います

人間関係が 得意ではありません。

仲が良いこともあったのに
めたくそにして さよならになってしまうことの多さを
見つめていました

ごめんね。って、言いたい人
いっぱい浮かびます

でも 相手は ごめんね。て言われることを
望んでないことも きっと多々ある、

そして また関係を繋ぐ
という思いをあまり持たなくなりました。

あれは嫌だった、ことは
嫌だった。でいい。

でも ごめんね。もありがとうもあること、
なんでも していいわけでないこと 
今も よく やらかしてしまってないかとか
思いながら
1日1日を 生きることを
現実で感じていたら 日々は過ぎていくこと

ここで 3年くらい 反抗期みたいな状態だった
さらに また違うけど 猗窩座出してくるのは
こどもですが  過去とみて 今を生きていくことを
感じています。

弱さ わがままさ 仕方ないじゃ済まないな、、と思うことも 後悔しながら

生きていくしかないじゃんね。

何難が合ってもいいように、
だとか
からだの調子を受け入れること、いつか同じ花火じゃなくても
みんな花火みれてたらいいなぁ
とか思いながら 
noteのアダルトチルドレンの項は
これで終わりたいと思います
やだ、アラフォー//
とか 思いながら 
遅くて長めの反抗期でした