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大人になるってなんだ?

やっぱり子供は想像力豊かなんよね。

大学生ながら、弟に付き合ってレゴ遊びを。
弟が家づくりを黙々と進めている中、私はそのサポート。
でも部品が集まって手が空きだしたらつまらなくなっちゃった

なんでだろうと考えると、
すごいものを作らなきゃいけないとか、
大学生なんだから、ただ遊ぶだけじゃダメ、ここから学びを得なきゃいけない
とか、勝手に作れるもののハードル上げてた

そして、なにもしたくなくて、つまらなくなっちゃったのかなって。

つまり自分でブレーキをかけて出来ることを減らしてた。

成長することによってできることが「増えて」行くことが良いはずなのにね。
だって生きてる期間増えてるんだから!

でも、子どもがすることを大人が全力で楽しんだら、ちょっとおかしいかな、とかそういう思いがなぜか心に浮かぶ。

それって大人はこうだって、求められてる姿が潜在的に植え付けられてるからかなって。

なんだろうね。

でね考えた結果、私の思考の中で、大人っぽいとか、子どもっぽいという言葉までつながっていったの。
まとまりないかもだけど、良ければお付き合いください〜

「大人っぽい」って形容詞があるじゃない。その意味は多くの人の間で共通してると思うって
・物静かで、
・落ち着いていて、
・物事を俯瞰してる感じ。
じゃない?

それって自分を律することが出来てるってことなような気がする。 

つまり大人=自分を律することができる人。
な気がする。 

子どものように無邪気に遊ぶって律してない(少なくともそう見える)状態だし、そういう意味でも筋が通るのかなって。

人によって正解は異なるけど、とりあえずの私の見解?かな。

私の定義をもとに考えると大人になるということは自己コントロール力がつくということ。

では逆に人は律してない瞬間を好んで見せる対象は何なんだろう。
恋人、家族、友達、ペット、1人の時。
人によって違うよね…
でも心を許せる相手というのは共通してるんじゃないかな、少なくとも私はそう。

となると律するは外面的なことで、律してない部分は内面的なことな気がする。

取り繕うのも、身だしなみも、話し言葉を丁寧にするのも、感情のまま動かないように心得るのも合点がいく。

つまり大人になるというのは、本当の自分を見せないために鎧をかぶるということ、
自分を(良くも悪くも)抑えることなんじゃないかなって気がしてる。

いいことにも見えるし、悪い傾向にも見える。

自分の感情、見た目をコントロールできるくらいにはなりたいけど、それだけで終わっちゃったら体に悪そう。笑

ってなわけで 引き続きどんな大人になりたいか、考えていこうかなぁってところで今日の話は終わり。

事の発端が弟とのレゴ遊び。笑

それが私なりの「大人」の定義に繋がるとか。
書いてったら広がっていく。繋がっていく。

まあ結論?

書くってすごいなってことよね笑

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