見出し画像

無職の1年と、その後の僕の20年

歳をひとつとりました。ハッピーバースデー、僕!
いくつになっても、誕生日は割と嬉しい。
嬉しいのがバレると恥ずかしいので、シレっとした顔してますけど。
毎年、もらったメッセージを、隠れてニコニコ眺めています。

実は僕にとって、10月15日には誕生日とは別の、もうひとつの意味がある。
「28歳で、思いがけず1年間無職になった記念日」だ。
この日からの無職の1年間は、人生で一番つらい時期だったのと同時に、全てが好転したきっかけの1年間でもあった。

気づけば今年の誕生日は、その日からちょうど20年目。
当時の自分のことを、今の自分のために書き残しておくことにするよ。

4回目の退職と絶望

大学を出て5年目。
28歳を目前にした僕は、もう4社目の転職先にいた。
なかなか、いいスピードで履歴書に傷を刻み込んだもんだなあ。と自分でも思う。
しかも、その職場でも既に辞意を伝えていて、次の退職のタイミングを待っていた。

それぞれの転職に、理由は色々ある。
本当に色々ある。

でも簡単に言うと、結局、その頃の僕は仕事ができなかったのだ。
少なくとも、仕事がもっとできていれば、そこまで追い込まれなかった。
くしくも「できない」原因は、無職を経てようやく解るのだけど。
当時は4社の職歴から、自分が無能だという事実が証明されたように感じて苦しかった。

あ、大丈夫。ちゃんと救いがある話です!

誕生日から記念日へ

さて、当時の職場で辞意を伝えてからも、僕は毎日変わらず業務に追われていた。
「お前の勝手で辞めるんだから、タイミングや手順はこちらから指示する」
そう言ったまま、所長が処理を先延ばししていたからだ。

毎日、僕の退職願がデスクトレーの上から動いていないことをチラ見する。
指示通り、退職日は空欄のままになっている。
それ、早く処理するか、せめて見えないところに置いといてもらえませんか…
こちらから切り出すと、いつもの怒号や罵声が飛んでくるだろうな。
触れられないまま、何ヶ月か息を殺して働いていたある日。

「鈴木、今月の15日から来なくていいぞ。」
え、15日って来週ですやん。
残ってる有給、ぜんぜん消化できませんやん。
次の仕事…を探す気はないけど。
普通はその準備もありますよね。
ちなみに、その日は僕の誕生日ですよ?!
あの書類に、勝手に僕の誕生日を書いて出したっていうこと??

色々言いたいことはあったけど、表情が死ぬくらい心がすり減っていた僕は、たぶん作り切れない作り笑顔で、今まですみませんでした。と言った。

ちょうど28歳になった日から、僕は無職になった。

毎日が黒い安息日

成果は出ないものの、これ以上は働けない、と思うぐらい働いていたので、心が壊れている割には清々しかった。
多分、僕は仕事が向いてへんわ。
あの仕事が、じゃなくて、仕事全般が向いてへんわ。

この先どうなるかは分からなかったけど、とりあえずExcelで「現在のペースで貯金を使い続けたら、いつまで無職でいられるか」を割り出す家計簿を作った。
だいたい1年後が表示されたので、それまで仕事は忘れることにした。

毎日夕方に起きる。
もちろん、今日1日、何も成し遂げていない。
とりあえず落ち込んで、焦りを感じるから、三宮に飲みに行く。
朝方まで飲んで、始発で帰る。

目が覚めたら日が傾いている。
もちろん、翌日も1日、何も成し遂げていない。
とりあえず落ち込んで、焦りを感じて、以下同文。
だいたい、そういう毎日を送っていた。

飲み屋のマジック

毎日飲み歩いていると、少しずつ顔見知りができてくる。
まず飲食店の人たちが色々気遣ってくれた。
少しの条件で、格安で飲食させてくれるお店がいくつかできた。
本当にありがたかった。
今でも、飲食店があるから飲ませていただけると思っている。

次に、隣り合ったお客さんが面白がってくれた。
平日の夜中に飲み歩いているのは、翌日の仕事もお金も、あまり気にしなくていい人たちだ。
社長とか、お医者さんとか。
だいたい、毎晩だれかにおごってもらっていた。

僕が無職だというと、他愛のない話に仕事観をそっと織り交ぜてくれたり、やりたいことが見つかるまで事務所を好きに使っていいよ、と言ってくれる社長もいた。
ありがたいことに、若いのに何を考えてる!と本気で叱ってくれる人、うちで鍛え直してやるから来い。と入社を勧めてくれる社長もいた。
何もしていないなら、と、コミュニティーFM局のパーソナリティーを1年間やらせてもらえたのも、そんな縁からだ。

そして、肩書きや素性を全く気にせず、話し合える友達がたくさんできた。
その中の友達を介して出会った、綺麗な女医さんと付き合うことができた。
新しい世界をたくさん見せてもらって、この人と吊り合うような人間になりたい、と強く思うようになった。
その人が、今の妻だ。
「女医と無職」でディズニーが映画化したらいいと思う。

Excelの家計簿が残り約1ヶ月を示し、29歳を目前にした頃、5社目の転職先が決まった。
記念日からちょうど350日目。新しい職場の一員になった。

不思議と、その会社では素晴らしい仲間に恵まれただけでなく、
「人間性はともかく、仕事はよくできる」
という評価をもらうようになった。
…前半、余計じゃない?

ここまでが、20年前の僕に起こったことだ。

それから20年後

最近、大切なものをいくつか無くしてしょげていたのだけど、この時を思い出して、気づいたことがある。

僕は本当にラッキーで、周りの人にたくさん助けてもらった。
ただ、ラッキー以外に何かあったとしたら、それは「無職」という何も持たない僕だったんじゃないだろうか、ということだ。

格好をつけられる要素も理由も無かった僕は、話しかけてくれる数少ない人に、精一杯飾らず、精一杯本気で、精一杯の敬意をもってしか話せなかった。
今僕が、そんな28歳無職に出会ったら、きっと一杯おごるだろうと思う。

もともと僕が差し出せるものなんか、昔からそれしかないのに、それまでの「仕事モード」の僕は、何かを装って、したたかに企み、相手を出し抜こうとしていたかもしれない。

自分らしさも、自分の考えも、自分の感じ方も捨てて抜け目のない営業マンになるべきだと、クソ真面目に信じていた。
そんな所長の指示を忠実に守っていたのは、自分の意志と責任を放棄していたからでもあった。

相手に本当に敬意を払うなら、自分の本音を晒すべきだと思う。相手の言葉に忠実であるべきという価値観が、このときに剥がれた。
何も持たない僕には失うものが無かったし、何も持たない僕でもたくさんの人に愛してもらえた、という事実がそう確信させたんだろう。

精一杯飾らず、精一杯本気で、精一杯相手に敬意をもったら、他人の言うことよりも、自分の責任で、自分が信じられるやり方を選ぶようになった。
これが許される環境では、僕は割と仕事ができる方じゃないかと思う。

ハッピー?

誕生日が来るたび、嬉しさと一緒に、記念日を少しのくやしさで思い出していた。
でも次の20年は、精一杯飾らず、精一杯本気で、精一杯の敬意をもてているか。それを思い出す日にしたいと思う。
もともと、何も持っていなかったんだから。

ところで今日、僕はこんな駄文を長々と書いてしまい、何も成し遂げていない。
今日の晩は、ちょっと飲みに行ってきます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?