百人一首についての思い その62

 第六十一番歌
「いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重に匂ひぬるかな」 
 伊勢大輔(たいふ)
 かつて栄えた奈良の都の八重桜が、今日は京の都の宮中で、美しく咲き誇り、良い香りを漂わせています。
 
 The eightfold cherry blossoms
 from Nara’s ancient capital
 bloom afresh today
 in the new capital
 of the nine splendid gates.

 旧都奈良から京都の宮中に、あると献上品の桜が届けられた。いつもは紫式部が受け取る役目をしていたが、伊勢大輔にその役目を譲った。そのときの伊勢大輔は新入社員みたいな立場だ。お役目を果たすのに緊張していた。

 宮中を代表してお迎えに出ていたのが時の権力者の藤原道長である。道長は、伊勢大輔に、「八重桜を受け取ったお礼の歌を即興で詠め」と命じた。新入社員の伊勢大輔が歌を読んだのだ。

「いにしへ」と「けふ」が対であり、「けふ」は「京」にかかっており、「京」と「奈良」は対になる。「九重」は、古代支那の王宮には「九重の門」があったことから、皇居を指し示す。そして、七(奈良)、八(八重)、九(九重)と数字を重ねて、言葉が連なり見事なまでに響き合う美しい歌に、みんなが驚いた。そして、伊勢大輔はずっと長くその名をとどめた。
 やがて彼女は中宮定子(ていし)の従兄弟、高階成順(なりのぶ)と結婚して三女をもうけた。晩年には第七十二代白河天皇の傅育(ふいく)の任にあたり、孫は神祇伯に出世した。神祇官は太政官と並んで天皇直下の機構である。

 太政官は中央で政治を司る。施政方針は神祇官が神社を通じて庶民に通達する。神社には警察機能や軍事機能はない。そういうものがなくても庶民に施政方針が伝達されると言うことは、いかに日本というところが、治安が良くて民度が高かったのかということの証明でもある。

 さて、「和歌に通じる」ということは相手の心を読む訓練であり、相手への思いやり、惻隠の情の心を養うことである。それがひいては、「おほみたから」の気持ちを汲み取り、思いやりを以て政治を行うことにつながる。だから、貴族達は和歌の道に励んだのだ。


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