百人一首についての思い その72

 第七十一番歌
「夕されば門田の稲葉訪れて蘆のまろ屋に秋風ぞ吹く」 
 大納言経信(つねのぶ)
 夕刻になると、門前の田の稲葉がさわさわと音を立てて、葦武器の丸い屋根の仮小屋に、秋風が吹いているのです。
 
 As evening draws near
 in the field before the gate
 the autumn wind visits,
 rustling through the ears of rice,
 then the eaves of my reed hut.
 
 作者の源経信は学問があり、武人でもあった。江戸の絵師歌川国芳が、百人一首に出てくる歌人を描いた。「百人一首之内」という題の絵である。では、この源信経の場合はどんな絵になっているのだろうか。
 
 経信が自宅で和歌を作っているとき、朱雀門院の鬼がやってきて、経信の前で漢詩を吟じた場面だ。鬼が息を吐いているが、その息には漢詩のようなものが書いてある。経信は全く動じていない。
 そして、問題は、国芳はなぜ漢詩を鬼が吐く息に見立てたのかということだ。日本独自の文化を再構築していたのが、「百人一首」が生まれた鎌倉時代なのだ。西行や源実朝もその頃の人物である。つまり、西洋に先立って「ルネッサンス」を実行していたのである。支那で生まれた漢詩を鬼の息に見立てて、和歌という日本固有文化を守るという強い意志があるとさえ思えるような、見事な絵である。
 
 さて、『金葉集』の詞書きには、「師賢(もろかた)朝臣の梅津に人々まかりて田家秋風といふことをよめる」とある。源師賢の家に集まって歌を詠んだのだ。経信は「田」、「仮小屋」、「秋風」というお題を三つとも盛り込んでこの歌を詠んだ。師賢自身もまた武人である。
 この歌には「稲葉」とあるから、米の収穫の前であるという、収穫の期待に満ちた思いがある。武人の経信たちが、これまた武人である師賢の「仮小屋」に集まって、田畑、収穫されるべき米、農家の人たちを守ろうという思いを馳せているのだ。「豊葦原の瑞穂の国」を守る。「おほみたから」を守る。日本独自の文化を守る。そのような思いが伝わってくる。
 

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