みんな夢雪割草が咲いたのね

三橋鷹女という俳人がいた。昭和15年発刊の句集『向日葵』にはこんな素敵な句がある。
「みんな夢雪割草が咲いたのね」
また、昭和27年発刊の『白骨』にはもっと素敵な句がある。
「鞦韆は漕ぐべし愛は奪うべし」
鞦韆はブランコのことである。ブランコは漕げ、愛は奪えというのだから、なんとも恐ろしい。恐ろしくてなおかつ勇ましいが、歯切れの良さがとても素敵である。

 また、この句集には「白露や死んでいく日も帯締めて」といういかにも女性らしい句もある。
 鷹女が『向日葵』を出したのは50歳くらいの頃だったらしい。この当時の50歳というのは、現代の70歳くらいに相当するのだろう。会社の定年を考えても、以前は55歳だったが、現在では60歳になった。政府の指導では65歳定年の会社もある。

 そう考えると、我々の平均寿命が長くなっているのがよく分かる。しかし、平均はあくまで平均でしかない。私の大切な友人の数人が、50代半ばで逝ってしまった。彼らのことを考えると、とても寂しい。こういう場合には平均値などは、何の意味も持たない。

 私は今人生の夕暮れ時に差し掛かっているが、鷹女のようにブランコは漕げ、愛は奪えという激しい言葉は出て来ない。かといって、「死んでいく日」にはまだ考えが及ばない。
 少し前までは駅の階段を二段おきに踏みしめていくなど何の造作もなかったが、今では膝に強張りを感じてしまう。肉体は衰えるし、記憶力に至っては悲惨な状態である。

 因幡晃という歌手がいる。随分昔の歌だが、「わかって下さい」という歌の一節の歌詞にこんな部分がある。
 「忘れたつもりでも 思い出すのね」
 今の私の記憶力はというと、 「覚えたつもりでも 思い出せない」という状況だ。夕暮れ時にはそろそろ閉店の準備をしなければならない。閉店してからは、屋内の整理整頓を始めなければならない。 今から数年が閉店の準備期間なのだろうと思う。そして、人生というお店はいったん閉店したら、二度目の開店はないということである。
 お店の中も外もきれいに整理してからでないと、お店を去ってはならないのである。


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