百人一首についての思い その2

 第一番歌
「秋の田のかりほの庵の苫をあらみわが衣手は露に濡れつつ」 天智天皇(第三十八代天皇)
 秋の田んぼの脇にある仮小屋の、屋根を葺いた苫の目が粗いので、私の衣の袖は濡れてしまった。
 
 In this makeshift hut
 in the autumn field
 gaps in the thatch let dewdrop in,
 but it is not dew alone
 that moistens my sleeves…
 
 さて、この歌を理解するには、古代から連綿と続く日本の統治形態について、どうしても触れておかねばならない。古代の日本では主人と部下の関係には、「ウシハク」という形態と「シラス」という形態があった。「ウシハク」とは、「主人(うし)博く(はく)」と書く。つまり、主人が部下を私的に所有し支配するということだ。その反対が「シラス」統治である。つまり、主人が部下を私的に支配することなどなく、天皇の下に万民が平等に接することである。もちろん、身分の違いはあるのだが、だれかが誰かの私的支配者あるいは隷属者にはならないということだ。
 
 支那大陸で行われていたのは、この「ウシハク」の統治であったと言えるだろうし、今でも死那狂惨党(中国共産党に対する私独自の表記である。私は死那狂惨党には敵意を持っているので、「死那狂惨党」としか書かない。古代からの支那は、敵意がない場合には「支那」とした。古代支那時代から死那人が相手を侮蔑する場合には、汚い文字を使うので、それにならった)が人民を支配しているので全く変わっていない。
 
 皇帝が国と国民を所有物と見なし、私的に支配し贅沢の限りを尽くし、最後に反乱によって倒れ、力によって新たな皇帝が立つという治乱興亡の歴史しかない。北朝鮮の現実も独裁者による恐怖支配であり、韓国も大統領の権限の強さや前大統領が逮捕されるどの事実を考えると、政権交代は王朝交代とほぼ同じことであると言い得る。つまり、独裁体制と何ら変わりがない本質であると言えよう。ロシアにしても形式上は民主主義の形を取っているが、長期にわたって政権の座にあるプーチン大統領は、思考も行動も大統領というよりも帝王、つまりツァーリである。
 
 閑話休題。
 さてここで、『大祓詞』(おおはらえのことば)について触れたい。
 大祓詞は、神道の祭祀に用いられる祝詞の一つである。もともと大祓式に用いられ、中臣氏が専らその宣読を担当したことから、中臣祭文(なかとみさいもん)、中臣祓詞(なかとみのはらえことば)、中臣祓(なかとみのはらえ)ともいう。
 
 大祓詞に以下の一節がある。(宣命書き)
「皇御孫命波 豊葦原水穂國乎 安國登 平介久知 食世登」。読み方は、「すめみまのみことは とよあしはらのみづほのくにを やすくにと たひらけく しろしめせと」となる。
 
 さて、古語では「しろしめす」とは現代語では「お治めになる」という意味である。古語の「しる」は、物事を理解し自分のものとしていることである。漢字では、「領る」、「治る」と書く。そして、「しらす」は「しる」の未然形に尊敬の助動詞「す」が付いた形で、意味は「お治めになる」ということである。
 日本でははるか昔、古事記の「国譲り神話」によって、すでにこの「ウシハク」が否定されていた。「国譲り神話」と言うと、「国を無理やり取られた話だな」と思われがちだが、そうではない。
 
 なお、小名木さんによると、大化の改新によって「シラス」の統治形態が完成したと言えるそうだ。大化改新以前は、天皇や豪族らは各自で私的に土地・人民を所有・支配していたが、全ての土地・人民は天皇(公)が所有・支配する体制の確立、すなわち私地私民制から公地公民制に移行した。万民が天皇の民になるのであるから、だれも権力者の私有民にはならない。貴族や平民という身分の違いはあっても、支配と隷属による上下関係はなくなったのだ。
 
 日本の最高位権力者である天皇が、農民と共に何か作業をなさっているのだというイメージ作りのためにこの一首が第一番歌として置かれたという可能性もないわけではないが、素直に天皇が何かの作業をなさっているのだと受け取りたい。いずれにしても、「大化の改新」によって、シラス統治を復活させた天智天皇の御製を、藤原定家は第一番歌に据えたのである。

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