西行の足跡13

高野の条
 
21「こととなく君恋ひわたる橋の上にあらそふものは月の影のみ」 
 山家集下・雑・1157
 聖地奥の院の無明橋の上にいても、なんということなくあなたに逢いたいという気持ちがあれからずっと続いている。聖地を照らす月があまりにも美しくて、思い出すのはあなたと見たあのときの月だけである。
 
 この歌の詞書きには西住上人に贈ったとある。まるで恋人に贈った歌のように見えるが、そうではなかった。西行と西住は同行の僧であった。同行とは、信仰・修行を同じくする仲間のことを指す。また、同じ道の修行者のこと。
 西住上人は、西行と一緒に修行をした人で、信頼できる人物だったのだろう。私は、西住上人のことは詳しくは知らないし、また興味もない。また、西行がそうであったように、西住も徳大寺家に仕える武士でもあったようだ。この二人は本当に尊敬し合っていたのだろうと思う。中には、西行と西住の同性愛をいいたてる者もあるようだが、邪推が過ぎるのではないか。
 
「思ひやる心は見えで橋の上にあらそひけりな月の影のみ」 
 山家集下・雑・西住・1158
 私のことを心配してくださっているのかと思っていました。あなたの心の中で妍を競っていたのは、あの夜の聖地の端に見えた月と今の月と、だけだったんじゃないですか。
 
 寂然は、西行とも年が近くて、昵懇にしていたらしい。西住上人の死の折りには西行を訪ねている。下の歌は西住の最期を看取った西行に、寂然が贈った歌である。
 
「乱れずと終り聞くこそうれしけれさても別れは慰まねども」 
 山家集中・雑・寂然・805
 心乱れず安らかだったと臨終の様子を聞くと、私も嬉しくなります。だからといって、永遠の別れの悲しみを慰めることはできませんが。
 
 そして、西行は寂然に歌を返した。
「この世にてまた逢ふまじき悲しみに勧めし人ぞ心乱れし」 
 山家集中・雑・806 返し
 来世はともかく、もうこの世では逢えないだろうと思うと哀しくて、故人の臨終正念を導いた私のほうがかえって心が乱れてしまいました。
 
 西行と寂然のやりとりは、ほかにもこんなのがある。
「紅葉見し高野(たかの)の峯の花ざかり頼めぬ人の待たるるやなぞ」 
 山家集下・雑・1074
 あなたと一緒に見た高野山は今花盛りです。こんなにも美しいとあなたがまた入山なさるのではないか、と約束もしていないのに待ってしまうのはなぜでしょう。
 
「共に見し峯の紅葉のかひなれや花の折にも思ひ出でける」 
 山家集下・雑・寂然1075
 あなたと一緒に御山の美しい紅葉を見たおかげなのでしょう。花の季節にも御山が懐かしく思い出されます。
 
22「思ひおきし浅茅の露を分け入ればただはつかなる鈴虫の声」 
 西行上人集・雑・430
 故人が思いをそこに残した三昧堂の庭は、浅茅が生い茂り、露もしとどであったが、分け入っても、ただかすかに鈴虫の声が聞こえるだけである。
 
 徳大寺実能(さねよし)の家人でもあった西行は、徳大寺実能を偲んで上のような歌を詠んだ。
 
「亡き人の形見に立てし寺に入りて跡ありけりと見て帰りぬ」 
 西行上人集・雑・429
 今は亡き徳大寺実能が形見として建立した寺に入ってみたが、すでに消失して、その跡が残っている。私は、それだけを見届けて帰るしかなかった。
 
 高野山で修行をしていた西行にまつわる様々な歴史的遺跡もあるが、研究者でもない一介の庶民にはそのようなものには関心がない。ただ、西行は自分が仕えた徳大寺家のこともそれなりに大切に思っていたのだということだけは理解した。
 

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