百人一首についての思い その65

 第六十四番歌
「あさぼらけ宇治の川霧たえだえにあらはれわたる瀬々の網代木」 
 権中納言定頼
 夜が明ける頃、宇治川の川面に立ちこめていた霧が少しずつ晴れてきて、霧の間から瀬に仕掛けられた網を留める杭が、だんだんに見えてきます。

 As the dawn mist
 thins in places
 in the Uji river,
 in the shallows appear
 glistening stakes of fishing nets.

 第六十番歌は小式部内侍が詠んだが、藤原定頼はその当時の彼氏だった。また、五十八番歌の大弐三位、次の六十五番の相模とも関係があったらしい。家柄、血統、容姿などに優れていたからこそ、素晴らしい女性たちとの関係があったのだろう。また、風雅の道を知っていなければ、このような華やかな女性たちとは縁がないだろう。

 六十三番の道雅は「我(が)」に走り、六十四番の定頼は「雅(が)」に向かった。つまり、定頼は、己の分をわきまえていたのに対して、道雅は思い上がっていたのだろう。そこをきちんと見定めて、配置するというのはやはり藤原定家は途轍もない知識人だった。


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