百人一首についての思い その70

 第六十九番歌
「嵐吹く三室の山のもみぢ葉は竜田の川の錦なりけり」 能因法師
 山の嵐に吹き散らされた三室山の紅葉は、ふもとを流れる竜田川を、まるで錦のように染め上げていますね。

 Blown by storm wins,
 Mount Mimuro’s
 autumn leaves have become
 the river Tasuta’s
 richly hued brocade.

 能因法師は俗名を橘永愷(ながやす)と言い、近江守だった橘忠望(ただもち)の子である。平安時代の大学寮で学び、特に優秀な学生だけがなれる文章生(もんじょうせい)になったが、26歳の時に出家する。そして、漂白の歌人として生きていく。

 この歌のキ―ワ―ドは「三室の山」である。「室」というのは外気を防ぐための室である。そして、三室山は別名を神南備山という。つまり、風雨を防いで神々が降臨する山ということになる。では、「嵐吹く」とは何だろうか。

 この歌の配置は第六十九番目である。その前は三条院の歌である。三条院は、望月がかけないと傲慢に言い放った藤原道長との対立によりついに退位を余儀なくされた。ところで、錦とは絢爛豪華な―に仕立てられた絹織物のことである。
 そうすると、神々が降臨する三室山はそのまま朝廷であり、その朝廷に嵐が吹くということは、政争があるということだ。そのような政争でさえも、絢爛豪華な錦と同じようだと言うのだ。
 
 支那の歴史を見てみると、なんともおぞましい。皇帝やその一族が、あいつらは危険な勢力だと判断した勢力は、一族郎党全員処刑される。『史記』によると漢の高祖である劉邦の皇后呂太后は、戚夫人の両手両足を切り、目耳声を潰し、厠に投げ落として それを人彘(人豚)と呼ばせ、さらに恵帝を呼んでそれを見せたため、彼は激しい衝撃を受け、以後酒色に溺れるようになり早世したという。
 
 日本では武士の間では、復讐の恐れがあるため男の子は処刑されたが、女児は出家させるなどして寛大に処分した。しかし、貴族の間ではそのようなことはせず、左遷程度であった。だから、外国と比較すると、まさしく「錦」のような政争なのだ。
 
 ところで、私事で恐縮だが、私は本当に死那が大嫌いである。現在の死那狂惨党の酷い統治を見ていればよく分かる。一般人は自分達を「ニラ」だと言う。「ニラ」という言葉には、自分たちは大企業や中国政府に摘み取られる無名の野菜にすぎず、特に米中貿易戦争が激化し、中国経済が減速する中でいいカモにされている、という自虐的な意味が込められているのだ。良い思いをするのは、汚職に塗れた官僚たちと、死那狂惨党党員だけである。そこでは、錦とはほど遠い塵芥と刈り取られた後のニラの残骸だけである。
日本に生まれて良かったとつくづく思う。
 
 

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