百人一首についての思い その56

 第五十五番歌
「滝の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こえけれ」 
 大納言公任(きんとう)
 今はもう枯れてしまった滝だけれど、滝の音色の素晴らしさは、今も世間に流れて聞こえています。

 The waterfall
 dried up
 in the distant past
 and makes
 not a sound,
 but its fame
 flows on
 and on―
 and echoes
 still
 today.

 まず、英訳を見てみよう。短い句が連なっていることにまず気がつく。そして、全体としては長めである。それは、ごうごうと流れる滝の流れを思わせるような視覚的効果を生んでいる。このマクミランさんという人が、相当に深く和歌の世界を理解しているとことが、この和歌の英訳を読んだだけでも理解できる。

 さて、この人は和歌、漢詩、管弦に優れていたので、「三船(さんせん)の才(ざえ)」と呼ばれていた。しかし、なんと裁判関係での業績こそが本邦初という名誉に輝くのである。刑事裁判の被告人への判決には懲役年数が書かれているが、この藤原公任こそが本邦で初め懲役年数を定めた人なのだ。

 人は、いずれ必ず死ぬ。しかし、人が死んでも人々の記憶に残る人もある。ほとんどの人は死んでからも子孫がいれば子孫の記憶に残る。だが、その子孫が死に絶えると、もう記憶には残らない。だが、一部の人々は、芸術、技能、身体能力、などに関して長く人々の記憶に残る。それが、「名こそ流れて聞こえけれ」なのだ。

 夏目漱石やベートーベン、モーツァルトのように輝かしい業績を残して長い間人々からの賞賛が受けられるような人になるのはいい。しかし、スターリン、ヒトラー、毛沢東、ポル・ポトのような大虐殺を起こした人間として、大勢の人々に忌み嫌われる人間とし記憶されるくらいなら、静かに無名で生きたほうがいい。私たちは慎み深く他人に迷惑をかけないように生きていくのがよいと思う。


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