西行の足跡23

戦争の条
 
41「木曾人は海の碇(いかり)を沈めかねて死出の山にも入りにけるかな」  
 聞書集・227
 山育ちの木曾義仲は、生死の海の碇を沈めることができなくて、死出の山にまで入ってしまったのだなあ。海戦に敗れた怒りを鎮めることができないまま、敢えなく戦死することになったのだなあ。
 
 この歌には「木曾と申す武者死に侍りにけりな」という詞書きがあるが、なんとも冷淡な突き放した言い方である。都の人々の間では、木曽義仲は都を警護しているにもかかわらず、立居振る舞いも無骨で、言葉遣いも粗暴であるとの評判が悪かった。だから、木曾義仲はあっと言う間に「朝日将軍」という名誉に輝く地位にまで上り詰めたが、凋落もあっと言う間のことだった。
 
 西行は、平清盛と同年齢であり、北面の武士でもあったので、平家の文化には親近感を持っていたことが知られている。だから、木曾義仲のような無骨な武者は、田舎者の武者としか思えなかったのだろう。
 
 下の歌は、平忠盛の西八条の邸宅で西行が詠んだ。
「小夜ふけて月にかはずの声聞けば汀もすゞし池の浮き草」 残集・31
 夜が深まって、月の明るさに呼応して蛙の声も涼しげに聞こえてくると、憂き佐草の漂う様子がなんとも涼しいげで、立派な邸宅であることが実感される。
 
「消えぬべき法の光の燈火をかかぐる輪田の泊なりけり」 
 山家集中・雑・862
 末法の世なので消えてしまいそうになる法の無光を、ここ大輪田泊では盛大な法会によって見事に灯し継ぎ、勢いを盛り返しているよ。
 
 この歌は法華経持経者千人を集めた千僧供養を平清盛が修した際に詠んだ。
 
「夜の鶴の都の内を出でてあれなこの思いにはまどはざらまし」 
 西行上人集・434
 夜の鶴は子を思って籠の中で鳴くと言うが、都(みやこ)という籠(こ)から抜け出せたら良かったのに。そうすればこのために心が迷って、往生に障りがなかっただろう。
 
 これは清盛の子宗盛とその子清宗の処刑に関する。
 このように見ていくと、やはり西行は平家には近しい立場だったのだろうと思われる。
 
 一方、木曾人の歌には「死出の山」が続く。
 下の歌には、「世の中に武者起こりて、西東北南、いくさならぬところなし。うち続き人の死ぬる数聞く夥し。まこととも覚えぬほどなり。こは何事の争いぞや。あはれなることの様かなと覚えて」という詞書きが付いている。
 
「死出の山越ゆる絶え間はあらじかしなくなる人の数続きつゝ」 
 聞書集・225
 死出の山を越えていく死者の列は絶え間なく続いているのだろう。こんなに戦死する人が続出したのでは。
 
「沈むなる死出の山川みなぎりて馬筏もやかなはざるらん」 聞書集・226
 死者が底に沈むという死出の山の川は、あまりに多くの戦死者のために水が満ちあふれて、宇治川の合戦に用いられた馬筏でも渡れないであろう。
 
 平家にも触れ、源氏(木曾義仲)にも触れているということは、源平のどちらにも付かず、戦争の愚劣さを痛烈に批判しているのだと言うことなのだろう。平家の一族と親しいとは言え、やはり戦争の愚劣さには批判せざるを得なかったというところか。
 
 藤原定家は『明月記』で、有名な言葉を連ねた。「世上乱逆追討耳ニ満ツト雖モ、之ヲ注セズ。紅旗征戎吾ガ事二非ズ」と。
 しかし、北面の武士であった西行にとっては、純粋な芸術家なので俺には無関係だとは、言いたくても言えなかっただろう。僧でもある俗との境目に立ちながら争いごとの愚劣さを面罵したことだろう。それが、木曾義仲の最後を冷淡且つ直接的に吐き捨てるように詠ませる力となったのだろう。
 
恋と月の条
 
42「ゆくへなく月に心のすみすみて果てはいかにかならんとすらん」 
 山家集上 秋・353
 月を見ていると私の心は澄みに澄む。このままどこまで澄んでいくのだろう。私は一体どうなってしまうのか。
 
「ならんとすらん」は、いくつか先例がある。
 
「世の中をかく言ひ言ひの果てはいかにやいかにならむとすらん」 
 拾遺和歌集・巻八・雑上・哀傷・詠み人しらず
 この世の中をこう言ってみたり、ああ言ってみたりしても、あげくの果ては一体何がどうなってしまうのだろう。
 
 ここで、少し分解して考えないとわかりにくい言葉がある。
「ならむとすらんむ」とは、「成ら+む+と+す+らむ」となる。つまり、ラ行四段活用動詞「成る(《変化して》別の相を現す)」の未然形「成ら」+推量の助動詞「む(…う)」の終止形「む」+格助詞(帰着点を表す)「と(…と)」+サ変動詞「す(…する)」の終止形「す」+推量の助動詞「らむ」(…だろう」の連体形「らむ」である。つまり、成ら(成ろ)む(う)と(と)す(する)らむ(のだろう)で、「なろうとするのだろう」。
 
「とてもかくかくてもよそに嘆く身の果てはいかがはならとすらん」
 和泉式部集
 ああしてもこうしても結局は世の中からの疎外感に泣くことになる私は、そのあげくの果ては一体どうなってしまうのだろうか。
 
 さて、西行の歌に戻ろう。西行のこの歌は、未来への期待と不安が綯い混ざった表現になっていると、西澤教授は解説する。そういえば、西行という人は出家したことを後悔するのでもなく、修行が足りないことに絶望するでもなくという境地というか立場や考えが一筋縄では行かないようなところが最初からあった。
 
「くまもなき月の光に誘われて幾雲居まで行く心ぞも」 
 山家集上・秋・327
 一点の陰りもない月の光に誘われて、私の心は浮かれる。どこまでも遠くどこまでも空高く。
 しかし、私の心はそこに行ったからと言って、満たされるものだろうか。
 
 この歌を詠んだのは「菩提院前斎宮」(殷富門院)の御所である。御所や門院を「雲居」を比喩している。月光の清聴を以て御所や門院を賞賛しているのだ。
 

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