百人一首についての思い その50

 第四十九番歌
「御垣守衛士(えじ)のたく火の夜は燃え昼は消えつつものをこそ思へ」
 大中臣能宣(よしのぶ)朝臣
 皇居の諸門を警護する衛士たちの焚くかがり火が一晩中燃え、日中は消えることを繰り返しています。そのことを深く思っています。

 This troubled heart of mine
 is like the watch fire of the guards
 of the palace gate―
 It fades to embers by day,
 but blazes up again each night.

 この歌にある「御垣守(みかきもり)」とは何か。諸国から集められて、宮中の各門で不寝番をしている衛士のことである。天皇を守るためにずっと警護を続けるのだ。
 現在皇居を警護するのは皇宮警察であるが、彼らは公務員である。しかし、「御垣守」は民間人である。民間人がどうしてこのよう厳しい務めに耐えたのか。彼らは、天皇の「おほみたから」として大切にされていることの幸せを思い、感謝の心を持って衛士となったのだ。衛士になることは、一族の誇りでもあった。もし、天皇が国民を「おほみたから」と思わずにいたのなら、このように長く続くはずがない。天皇に感謝するから衛士という厳しい務めに耐えるのだ。

 天皇は毎年1月1日(元日)の早朝、歳旦祭に先だって、宮中・神嘉殿の南庭で天皇が天地四方の神祇を拝する「四方拝」と呼ばれる儀式からご公務をなされる。その時、以下のような呪文を唱えられる。
 賊寇之中過度我身(ぞくこうしちゅうかどがしん)(賊寇は必ず我が身を通して下さい)
 毒魔之中過度我身(どくましちゅうかどがしん)(毒魔は必ず我が身を通して下さい)
 毒氣之中過度我身(どくけしちゅうかどがしん)(毒氣は必ず我が身を通して下さい)
 毀厄之中過度我身(きやくしちゅうかどがしん)(毀厄は必ず我が身を通して下さい)
 五危六害之中過度我身(ごきろくがいしちゅうかどがしん)(五危六害は必ず我が身を通して下さい)
 五兵六舌之中過度我身(ごへいろくぜつしちゅうかどがしん)(五兵六舌は必ず我が身を通して下さい)
 厭魅之中過度我身(えんみしちゅうかどがしん)(厭魅は必ず我が身を通して下さい)
 萬病除癒(まんびょうじょゆ)(民のあらゆる病は、除かれ、癒やされますように)、
 所欲随心(しょよくずいしん)(民が欲することは、心のままに全てかないますように)、
 急々如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)(この旨、すみやかに、律令のごとく正確に・しっかりと行われますように)

 つまり、「おほみたから」の民草が平和に暮らせるようにと、我が身に辛い試練を一手に引き受けるお覚悟のほどを神様にお誓いになるのである。そようにまで民を労ってくださる天皇という至高の存在に感謝するのは当然のことなのである。だから衛士(えじ)が務まる。

 苦しいときには御垣守の焚く火を思い、衛士たちが厳正に務めを果たしていることを思いなさい。無私の精神を培いなさい。それがこの歌に込められたメッセージなのだ。
 我執に囚われた源重之は出世することなく世を去ったが、無私の精神に徹した大中臣能宣は「朝臣」という皇族に次ぐ地位を得た。

 このことを日本の国民に知ってもらうために、藤原定家は正反対の二つの歌をこのように配置した。恐るべし、藤原定家の深謀遠慮。


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