西行の足跡 その7

5「世の中を捨てて捨てえぬ心地して都離れぬわが身なりけり」 
 山家集下・雑・1417
 世の中を捨てたつもりだが、どうにも捨てられないでいる私だ。こうしてまだ心には都のこと
が懐かしく忍ばれるのだから。
 
「捨てたれど隠れて住まぬ人なればなほ世にあるに似たるなりけり」 
 山家集下・雑・1416
 世を捨てて出家したが、隠れて住むということもないので、いまだに俗世にいるのに似ている。
 
「捨てしをりの心をさらに改めて見る人の世に別れ果てなん」 
 山家集下・雑・1418
世を捨てて出家した折の気持ちや決心を、もう一度振り返ってみて、こんどこそ本当に、俗世の人たちと別れきってしまおうと思う。
 
 世を捨てた、つまり、出家して俗世界とは無縁の身になったつもりだったが、都を離れなれないと嘆いている。未だに俗世界にあるのに似ている。初心に返って、世の中の人々にすっかり別れを告げようと嘆いたり、決意を新たにしたりしている。
 このように西行という人は、出家しても俗世への執着を隠そうともせず、修行が足りないと反省することもない。いつも、俗世と出家の境界を行き来しているという感じなのだ。しかし、山里に住んでいた出家直後の頃にはさすがに、西行もいろいろと考える事があったようだ。そのことを西行自身の作品から読み取ることにする。
 
 東山に住んでいた頃に次の歌を詠んだ。
 詞書き 「世を遁れて東山に侍りけるころ、白河の花ざかりに人さそひければ、まかりて、帰り昔思ひ出でて」
「散るを見て帰る心や桜花昔にかはるしるしなるらん」 
 山家集上・春・104
 散るのを見届けたらやっと落ち着いて帰路に就く気になったが、桜花よ、思えば出家する前とはここが違うんだね。
 
 そして、次の歌は鞍馬の奥に住んでいたころの歌である。
詞書き 「「世を遁れて、鞍馬の奥に侍りけるに、筧氷て、水まうで来ざりけり。春になるまでかく侍るなりと申しけるを聞きて、よめる」
「わりなしや氷る筧の水ゆえに思ひ捨ててし春の待たるる」 
 山家集上・冬・571
 どうしようもないな。掛樋が氷って水も来ないし、そのせいで出家をして未練を断ったはずの春が、俗人の時のように待ち遠しくなる。
 
 山里に住んでいれば、どうしても俗世にあった時と同じように心が反応することを自省しているのだ。「都離れぬ」、「なほ世にあるに似たる」という自省である。そして、西行は吉野への移住を決めた。



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