百人一首についての思い その36

 第三十五番歌 
「人はいさ心も知らずふるさとの花ぞ昔の香ににほひける」 紀貫之
 人の心は分からないけれど、ふるさとの梅の花は昔のまま香っていますよ。
 
 As the human heart’s so fickle
 your feelings may have changed,
 but at least in my old home
 the plum blossom bloom as always
 with the fragrance of the past.
 
 この歌は、古今集に収められている。詞書に「初瀬に詣(まう)づるごとに宿りける人の家に、久しく宿らで、程へて後にいたれりければ、かの家の主人(あるじ)、『かく定かになむ宿りは在る』と言ひ出して侍(はべ)りければ、そこに立てりける梅の花を折りて詠める」とある。
 
 つまり、昔は初瀬の長谷(はせ)寺へお参りに行くたびに泊まっていた宿にしばらく行かなくなっていて、何年も後に訪れてみたら、宿の主人が「このように確かに、お宿は昔のままでございますというのに」(あなたは心変わりされて、ずいぶんおいでにならなかったですね)と言った。そこで、その辺りの梅の枝をひとさし折ってこの歌を詠んだということだ。
 
 花に「ぞ」という強意の係助詞を付けたと言うことは、「花」ばかりは昔の香りのままだと言っているのだから、この「花」はただ梅の花を指すのではなく、接待に出た女将のことを指しているのだろう。
 昔は熱い思いで通ってくれた男に対して、「最近はご無沙汰ね」となじったら、「他人様のことは知らないが、君はずっと心のふるさとだ。昔の香りのままでいてくれて、ありがとう」と言ったのだというのが、小名木さんの解釈である。私にはそれが正しいかどうかはどうでもよいことである。ひとはそれぞれの解釈で歌を読めば良い。
 
 ただ、「私がおばさんになったから、あなたは少しも来てくれないのね」と私を詰問する女性が仮にいたとしたら(現実には絶対にありえないことだが)、「いいや、そんなことはない。年をとっても君は君だし」と答えるだろう。その心こそが「花ぞ昔の香ににほひける」ということだと、私は解釈したている。
 
 

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