百人一首についての思い その69

 第六十八番歌
「心にもあらで憂き世に長らへば恋しかるべき夜半の月かな」 三条院
 心ならずも、この辛い憂き世に生きながらえたなら、あの夜明けの月を恋しく思うのだろう。

 Though against my wishes,
 I must live on this world of pain.
 But when I look back
 I will surely recall you fondly,
 Dear Moon of this darkest night.

 三条天皇の時代に、政治的権力を我が物顔で振るっていたのは藤原道長である。藤原道長と三条天皇は厳しく対立する。三条天皇は、眼病を患い、失明寸前になっていた。

 道長は三条天皇に対して、失明寸前の状態であることを理由に、退位を迫っていたが、三条天皇は退位せずにいた。それにしても天皇の家臣に過ぎない人間が退位を迫るというのは、あってはならない。
 ただ、失明寸前のことなので、三条天皇に分がない。そうこうするうちに、皇居が焼失し、仮説の皇居もまた焼失した。二度にわたる内裏の火事で三条天皇は、退位を決意するに至った。
 ここに後一条天皇が誕生した。この歌は、三条天皇が退位し、三条院になられたときの歌である。

 三条天皇は、藤原道長が私的に富を独占する状態になり、危機感を持った。だから、「憂き世」である。
「この世をば我が世とぞ思ふ望月のかけたることもなしと思えば」と詠んだ道長とは対照的である。「夜半の月」とは望月や満月に近い月だが、月は満ちかけしていく。そのように詠んだ心の底には、道長の権勢もいずれは弱まるという思いがあったのだろうか。
「ウシハク」勢力の望月が沈めば、太陽が昇る。つまり、天照大神の復活である。「シラス国」として天照大神の下で、民衆が「おほみたから」として生きていくのである。決して希望を捨ててはならないということだ。

 ところで、私が好きなラテン語の格言のひとつにこんな格言がある。
“Dum spiro, spero.” 「ドゥム・スピーロー・スペーロー」と読む。「私は息をする間、希望を持つ」と言う意味だ。つまりは、「生きる限り、希望をもつことができる。」(=死んだら希望などもてない。)ということだ。この言葉は、”Spērō dum spīrō.”の形でも知られている。この言葉は、米国のサウス・カロライナ州のモットーである。


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