百人一首についての思い その6

 奥山に紅葉ふみわけ鳴く鹿の声聞くときぞ秋は悲しき」 猿丸太夫
 奥山で紅葉を踏み分け、鳴いている鹿の声を聞くと、秋は一層悲しく感じられる。
 
 How forlorn the autumn,
 Rustling through the leaves,
 going deep
 into the mountains,
 I hear the lonely deer
 belling for his doe.
 
 全面紅葉に彩られた奥深い山で鹿が牝鹿に求愛している。その鹿の鳴き声を聞くときは、悲しいというのだ。この歌を読むと、ふうん、そんなものかという思いしか浮かばないというのが私の正直な感想である。
 話は全く変わるが、「もみじ」は黄葉とも紅葉とも書くが、今では紅葉が一般的だ。しかし、支那では六朝から唐の頃までは黄葉と書いてあるものが多くて、『白氏文集』などでは「紅葉」と書かれる例が多いそうだ。だから、日本でも「紅葉」と書くようになったのだろうか。
 
 さて、本題に戻ろう。
 私は、小名木善行さんの解説を基にして自分なりの解釈を書いているので、小名木氏の考えを見てみよう。まず、猿丸太夫というのは一種のペンネ―ムであり、相当身分の高い人が猿丸太夫のペンネ―ムでこの歌を詠んだのだろうと解説している。もちろん、論拠はあるようだがここではその論拠云々には触れない。
 絢爛豪華な全山紅葉の舞台で、愛し合う二頭の鹿の鳴き声が悲しいとは、一体どういうことだろうか。小名木氏によれば、華美な生活、豪奢な生活を送る貴族の人々に対して、そのような華美な生活は悲しいというメッセ―ジなのだそうな。
 
 当時の一般庶民の生活はとても質素で貧しかっただろうから、この戒めは正しい見解である。貴族と庶民という身分の違いはあっても、全員が天皇の公民であるから。しかし、建て前と本音が違うのはいつの時代でも、どこの国でもよくあることだ。その使い分けが最も上手なのが政治家であるのは、昔も今も変わらない。
 

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