百人一首についての思い その66

 第六十五番歌
「恨みわび干さぬ袖だにあるものを恋に朽ちなむ名こそ惜しけれ」 相模
 恨む気力もなくなり、ただ泣き明かして袖が乾く間もありません。恋のために身が朽ちてしまうのでは、名が惜しくありませんか。

 Even my sleeves may rot
 from bitter tears that never dry
 but worse than that
 is the tainting of my name
 by this bitter love.

 相模の夫は、大江公資(きみより)と言う人だが、この人は大変な浮気性の男だったという。部下の女性に手を出す癖があったと言われている。

 さて、「だに」という言葉を古語辞典で調べると、程度の軽いものを例として挙げて、もっと思い物を対比的に類推させるという用法があることが分かる。程度の軽いほうは相模が流す涙であり、程度の重いほうは夫の大江公資の名誉である。つまり、相模のほうは涙が乾く間もないほどに泣き明かしているが、大江の名誉を惜しむ気持ちのほうが強いという意味に取れる。

『後拾遺集』(815)には、「永承6年内裏歌合わせに」という詞書きがある。すでに相模は50代になっていて、大江公資はこれより10年来前に亡くなっている。大江家と夫個人の名誉を惜しみ、国司としての重責を思いながら任務を果たしてくださいと話した過去の記憶をたどりつつ詠んだ歌なのである。

 いかに女に弱いだめな夫であっても、一家の名誉を担って働いて重責を果たしてもらわないことには、妻としての立場がない。だから、相模は亡くなった夫の事を懐かしみつつ、国史としての責任の重さを妻の立場から支えたいと願っていた頃を回想しながら、この歌を詠んだのではないか。頼もしい日本の男の責任感と夫を支える妻の優しさを思うと、日本に生まれて良かったとしみじみ思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?