西行の足跡20

34「勅とかや下す帝のいませしかさらばおそれて花や散らぬと」 
 山家集・上春・106
 花に対しても勅を下す天皇がいらっしゃればいいのに。そうしたら花も畏れ多くて散らないのではないかと思う。
 
 西澤教授によれば、勅という漢語も、「いませかし」という敬語も、和歌で用いるのは異例のことだそうだ。ただし、「勅」という使い方は下のような例がある。
「勅なればいとも畏し鶯の宿はと問はばいかが答えむ」 拾遺雑下
 勅なので、この紅梅を献上することには異論など畏れ多くてありませんが、もし鶯が尋ねてきて、私の宿はどこに行ったのかと問うてきたらなんと答えればよろしいでしょうか。
 
「います」の例外的使用例として、次のような歌がある。
「むまれよりひつし作れば山にさるひとりいぬるにひとゐませ」 拾遺物名
 生まれたときから櫃を作っているので、これから材木を鳥に山に去ることになるが、ひとりで行くのは心許ないので、人を連れていきにされ。
 
 この歌は、「物名」なので、「むま、ひつじ、さる、とり、いぬ、ゐ」とあって、十二支の後半を隠して詠んだ。
 
 さて、「雨禁獄」ということばがある。白河院が、法勝寺で金泥一切経の供養をしようとしたが、雨のために延期すること三度に及び、さらに供養の当日もなお雨が降ったので、怒って雨を器に入れて獄舎に下したという故事に基づく。
「波もなく風ををさめし白河の君の折りもや花は散りけん」 
 山家集上・春・107
 四海波静かに、風枝を鳴らさぬ太平の天下を誇った白河院の治世にも、やはり花は散ったのであろうか。
 
 白河天皇の治世は「波もなく風を治めし」聖代だったという。
「四方の海波も音せぬ君が代とよろこびわたる佐野の舟橋」 
 顕輔集・大嘗会和歌
 四海波静かに、天下太平の世であると、いつまでも続く御代を、国をあげて祝いましょう。近江の名所「佐野の舟橋」を渡りながら。
 
「吹く風も木々の枝をば鳴らさねど山は久しき声ぞ聞こゆる」 
 久安百歌・崇徳院
 天下太平の世なので、風が吹いても木々の枝は鳴らさないが、山に入ると万歳の声が「山呼」の故事よろしく聞こえてくる。
 
「山呼」については26を参照のこと。
 西行にとっては、天皇というのは風を治め、花をも散らさない、絶対的な存在だったのだろうと、西澤教授は解説している。
 
35「今宵こそ思い知らるれ浅からぬ君に契りのある身なりけり」 
 山家集中・雑・782
 ご葬送の今夜こそは実感されました。生前にも安楽寿院の検分に供奉しましたが、実際にそこにお入りになるその日に上京しましたのは、前世からの深い因縁を院との間にいただいていたのですね。
 
 この歌には長い詞書きがあるが、長いので省略する。「君」とは鳥羽院のことである。俗世にあった頃の西行は北面の武士として鳥羽院に仕えていた。西行は徳大寺家の家人であった。鳥羽院が眠る安楽寿院の検分にも供奉したことがあり、浅からぬ縁があった。
 
「いとどしく面影にたつ今宵かな月を見よとも契らざりしに」 
 金葉集・恋下・有仁
 今夜の月を見ていると、ますますあなたの面影が目に浮かんできます。月を見ながら待てと約束してくださったわけでもないのに。
 
 この歌に出てくる、「今宵・君・契り」という言葉の連なりは恋歌を連想させる。また西行自身の羈旅歌に次の歌がある。
 
「月見ばと契おきてし古里の人もや今宵袖ぬらすらむ」 新古今集・938 
 月を見たらお互いを思いだそうと約束し合った都の人たちも、今夜のこんなにも美しい月に私を思い出して涙してくれているのだろうか。
 
 西行は、鳥羽院への思いを恋歌に擬することで、鳥羽院との因縁や前世からの運命なども和歌として表現することを可能にしたのだ。

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