百人一首についての思い第八十二番歌


「思ひわびさても命はあるものを憂きに堪へぬは涙なりけり」 道因法師
 切ない気持ちで思い悩んでいても、まだ命は残っています、憂いに耐えきれずにこぼれるのは涙ばかりです。
 
 I somehow live on,
 enduring this harsh love,
 yet my tears―
 unable to bear their pain―
 cannot help but flow.
 
 道因法師の本名は藤原敦頼である。彼は82歳で出家した。この歌は出家して道因法師になってから詠んだである。だから、齢80を過ぎてから作った歌であることは明白である。普通なら楽隠居してゆっくり過ごすこともできるというのに、若い僧侶に混じって、早起きをして掃除や雑用を次々とこなさねばならず、粗末な食事に堪えなければならないのだ。当時の80歳以上というのは、大変な長生きでもあるが、引退して悠々自適の生活が送れただろうに、なぜそんな修行に邁進したのか。世を憂い、国を思う老骨が世直しのために御仏に仕えるのだ。
 
 そうだとすれば、ただの恋の歌ではないだろうと思うのが自然である。貴族が権力を振るった平和な時代は過ぎ去り、武家が力を持ち、平和な世界は消え去っていく。そんな中でも御仏に仕える覚悟で出家した能因法師は何を思ってこの歌を詠んだのだろうか。
 
「胸が締め付けられるように苦しくても、まだ死ねずに生きていますが、もう憂いに絶えきれません。涙が流れるばかりです」と、崩壊していく日本を憂えて慟哭する歌なのである。しかし、日本の八百万の神様の考えは、こざかしい人間には分からない奥深い考えを持っていらっしゃったのだ。この約80年後には「元寇」が突発する。もしも、元寇があったときに、戦いに長けた武士達がいなくて貴族達だけが政治を回していたら、なす術もなく日本は「元寇」に蹂躙されていただろう。
 
 この歌が教えてくれるのは、貴族の政治が良かったとか、武士の政治はよくないということではなく、どんなに今が辛くても、私たちは「誠」を尽くして生きるしかないということだ。能因法師が老骨にむち打って修行に耐えたように、私たちも耐えなければならない。そんな当時の貴族達の辛い呟きが聞こえてきそうな歌である。
 
 

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