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御言葉の黙想 哀歌4章11節ー12節 2024年7月25日

本文:
主は憤りを極め、燃える怒りを注がれた。/シオンに火を放ち、火はその礎を焼き尽くした。
地上の王も世に住む者も、誰も思いもしなかった。/エルサレムの城門から/苦しめる者や敵が入って来るとは。

黙想:
預言者は審判の日にイスラエルにもたらされる災いを歌っている。
審判は予想できなかった形で実現する(ヨハネの黙示録16,15)。
しかし、よく考えてみると分かることだが、エルサレムの城門から敵が入ってくることは十分にあり得る。だが、人間は自分が見たいものを見ようとする。だから、悔い改めることができない(イザヤ書6,9-10)。
希望的な観測が投影された予想は打ち砕かれる(4,12)。そして、誇りと大切な資源は破壊され(4,1-2)、人々に蔑まれる(4,15)。誰も神の御前で誇ることはできない(コリントの信徒への手紙一1,29)。

4章10節は紀元後1世紀のユダヤ戦争で現実となった(ユダヤ戦記)。

災いは「町が荒れ果て、住む者がいなくなり/家には人が絶え/その土地が荒れ果てて崩れ去る時まで」続く(イザヤ書6,11)。しかし、木が切り倒されても切り株は残る。切り株には再生の希望がある。

主は取るに足らない私たちを選び、主イエス・キリストの救いに与らせてくださった(コリントの信徒への手紙一1,28)。「エッサイの根から出てきた新芽」であられる主イエスにあって、私たちはその知、義、聖、贖いに与ることができる(イザヤ書11,1-2.コリントの信徒への手紙一1,30)。

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