御言葉の黙想 列王記上18章24節 2024年8月17日
本文:
それから、あなたがたは、自分の神の名を呼び、私は主の名を呼ぶことにしよう。火をもって答える神があれば、それが神である。」民は皆、「それがいい」と答えた。
黙想:
人間は当然、保険をかけようとする。あちらが正しいかもしれないし、こちらが正しいかもしれない。将来の予測に関しては、第一人者ですら間違えるのだから、ある意味自然なことである。なので、今日は海の神に祈り、明日は山の神に祈る。
しかし、預言者エリヤは言う。今日、どちらかを選ばなければならない。主か、バアルか。
主は絶対者であり、他に並び立つものを許さない。保険をかけることを許さない。それが信仰である。
主の預言者はエリヤ一人、バアルの預言者は四百五十人いる。普通の人間は多数派に付く。しかし、真理は人間の多数決で決まるわけではない。
あなたはどちらに従うのか。私は主に従う。
主は火をもってお答えになる(18,38)。雨をもってお答えになる(18,45)。全能者の栄光でお答えになる。
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